今さらですが、黒澤明について

明治43年(1910年)東京・大井町生まれ、平成10年(1998年)没。
父の先祖は秋田士族。祖は阿部貞任の三男・黒澤尻三郎。
父は陸軍戸山学校出身。現在の日本体育大学理事であった。
88歳の生涯で30本の映画を監督。アカデミー賞と世界三大映画祭(ヴェネツィア、カンヌ、ベルリン)を受賞。
小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男らと共に世界的に知られ、「世界のクロサワ」と呼ばれています。

黒澤は、当初画家を目指していたこともあり、油絵や日本の古い絵に精通、新劇や能も詳しく、音楽はベートーベン、文学はドストエフスキーとバルザックを好んでいたそうです。

黒澤映画が映画界に与えた影響については、「姿三四郎」は柔道もの、「酔いどれ天使」はヤクザもの、「野良犬」は刑事もの、「七人の侍」は集団抗争時代劇、「用心棒」は痛快時代劇を生んだといわれているそうです。

そしてその影響はハリウッドにも伝わり、ジョージ・ルーカスは特に「生きる」「隠し砦の三悪人」「七人の侍」から、スティーブン・スピルバーグは、特に「七人の侍」「天国と地獄」「影武者」から、フランシス・コッポラは、特に「悪い奴ほどよく眠る」から、マーティン・スコセッシは、特に「生きる」「七人の侍」「天国と地獄」から、クリント・イーストウッドは、特に「用心棒」から、ピーター・ジャクソンは、特に「七人の侍」から、影響を受けたと語っているそうです。

また現在も、日本の北野武は、「羅生門」「蜘蛛の巣城」「デルス・ウザーラ」から、宮崎駿は、特に「夢」「蜘蛛の巣城」から、強い影響を受けたとされているそうです。

【作品】
昭和18年(1943年)
「姿三四郎」
昭和19年(1944年)
「一番美しく」
昭和20年(1945年)
「続姿三四郎」
「虎の尾を踏む男たち」(公開は昭和27年)
昭和21年(1946年)
「わが青春に悔いなし」
昭和22年(1947年)
「素晴らしき日曜日」
昭和23年(1948年)
「酔いどれ天使」(三船敏郎初主演)
昭和24年(1949年)
「静かなる決闘」
「野良犬」
昭和25年
「醜聞」(1950年)
「羅生門」(ヴェネチア国際映画祭金獅子賞・アカデミー賞名誉賞)
昭和26年(1951年)
「白痴」
昭和27年(1952年)
「生きる」(ベルリン国際映画祭上院特別賞)
昭和29年(1954年)
「七人の侍」(ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞)
昭和30年(1955年)
「生き物の記録」
昭和32年(1957年)
「蜘蛛の巣城」
「どん底」
昭和33年(1958年)
「隠し砦の三悪人」
昭和35年(1960年)
「悪い奴ほどよく眠る」
昭和36年(1961年)
「用心棒」
昭和37年(1962年)
「椿三十郎」
昭和38年(1963年)
「天国と地獄」
昭和40年(1965年)
「赤ひげ」
昭和45年(1970年)
「どですかどん」
昭和46年(自殺未遂)
昭和50年(1975年)
「デルス・ウザーラ」
昭和55年
「影武者」
昭和60年(1985年)※文化勲章受章
「乱」
平成3年(1990年)※アカデミー名誉賞
「夢」
平成4年(1991年)
「八月の狂詩曲」
平成6年(1993年)
「まあだだよ」

「海は見ていた」(平成16年・2004年 熊井啓監督)
「雨あがる」(平成13年・2001年 小泉堯史監督)

【主な共同執筆者】
小国英雄(12本)
菊島隆三(9本)
橋本忍(8本)
久板栄二郎(4本)
井手雅人(3本)
植草圭之助(2本)

【音楽】
早坂文雄
「醉いどれ天使」~『生きものの記録』
佐藤勝
「赤ひげ」
武満徹
「どですかでん」「乱」
池辺晋一郎

【プロデューサー】
本木荘二郎
田中友幸

【スタッフ】
撮影・・・中井朝一・斎藤孝雄・上田正治
美術の・・・松山崇・村木与四郎
録音・・・矢野口文雄

【俳優】
三船敏郎・・・「酔いどれ天使」~「赤ひげ」まで16作品
志村喬・・・「姿三四郎」「影武者」まで25作
藤田進・・・「姿三四郎」「隠し砦の三悪人」など
仲代達也・・・「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」「影武者」「乱」
森雅之
大河内伝次郎
香川京子
山崎努
寺尾聡
山田五十鈴
藤原釜足
千住実
高堂国典
本間文子
清水将夫
土屋嘉男
加藤武
三好栄子
清水元
渡辺篤
千石規子
左卜全
東野英治郎
宮口精二

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