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「ドレミの歌」が生まれたきっかけ 出会い編

「サウンド・オブ・ミュージック」は、実在のトラップファミリーの実話をもとにミュージカル化、さらには映画化されたお話です。
原作の「サウンド・オブ・ミュージック」は、オーストリアでの暮らしからアメリカに向かって移動する「オーストリア編」と、アメリカに“亡命”して以降の話を綴った「アメリカ編」の2冊構成になっています。

アメリカで製作されたミュージカルは「オーストリア編」のみが扱われていますが、ドイツが製作した映画「Die Trapp-Familie」は「オーストリア編」と「アメリカ編」の両方が映画になっています。この映画、日本では「菩提樹」という名前で知られています。これは、劇中に登場するシューベルトの歌曲から来ています。

お店で開催しています翻訳家の方にご自身が訳した本を紹介していただいているサローネでも「サウンド・オブ・ミュージック」の紹介がされました。
もちろん、訳本は「オーストリア編」と「アメリカ編」、両方があります。

翻訳の裏話、のようなお話で満載のサローネ。
そのひとつに、「ドレミの歌」誕生のお話もありました。

日本語でもおなじみの「ドレミの歌」も、「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌のひとつです。歌っているのはご存じ、ペギー葉山さん。
では、なぜペギーさんが「ドレミの歌」を歌うことになったのか?
しかも日本語歌詞もペギーさんが付けられているのですが、それはなぜなのか?

お話しくださる翻訳家の先生は、存命であればご本人、他界されていたら家族の方と、コンタクトを取っていろんな情報を得て、それを翻訳にも活かされています。
そんな先生ですので、「サウンド・オブ・ミュージック」の関係で、ペギー葉山さんともお会いしていろんなお話を交わされたそうです。

そもそも、
ペギーさんとミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」との出会いからして劇的なのです。

ペギーさんご自身は海外にルーツはないのですが、ペギーさんのご主人はオーストリアに縁があります。
あるとき、ペギーさんがご主人のルーツでもあるオーストリアを訪れる際に、トランジット地点のロサンゼルスで川端康成さんと三島由紀夫さんと鼎談する企画が出版社で用意されました。
その鼎談の場で、ペギーさんに三島さんが
「君はもうあの舞台を観たかい?
あれはぜひ観た方がいいよ」
と勧めたのが「サウンド・オブ・ミュージック」だったのです。

もともとは、ロサンゼルスからオーストリアに直行する予定を組んでいたペギーさんは三島さんの薦めを受けて、急遽予定を変更してニューヨークに立ち寄り、「サウンド・オブ・ミュージック」をご覧になられたそうです。

三島さんが薦めていなかったら、「ドレミの歌」とペギーさんが出会うことは無かったか、遅れていたかもしれませんね。

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