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江戸は遠くになかりけり

昭和40年代、「明治は遠くなりにけり」という言葉が はやったことがあるそうです。大正が過ぎ、昭和の時代となり、ちょうど明治100年にあたるころに至る所で使われたそうで、もとは、中村草田男さんの句集『長子(ちょうし)』に収められている
「降る雪や明治は遠くなりにけり」からきたものだそうです。

ところが。
東京で暮らしているから、でしょうか?
意外に、江戸の頃の慣習が今でも影響していることを、しばしば感じます。

たとえば・・・
愛知県豊田市出身の方に「あぁ~、名古屋なんですね?」というと
「いえ、三河です」
ときっぱりと返事が来ます。尾張と三河は今でもしっかりと違う"クニ"なのです。
私たちのカフェのある街には「愛知県寮」と「三河寮」とが分かれてあるのです。
今では良好な関係だそうですが、昭和の時代でも、そうではなかった時期があるそうです。

山形
といえば「芋煮」ですが、これも米沢と庄内では味やお肉が違うとのこと。
私は九州は馴染みがあるので、福岡市の武家エリアの「福岡」と町人エリアの「博多」は知るところなのですが、米沢と庄内にもその違いがあるのだとか。

そして、
青森出身の方との会話から
「南部生まれとは結婚しちゃいけん」
と祖母に言われた、とか
福島出身の方との会話から
高知県出身の女性と恋に落ちた時には、祖母に
「土佐もんと一緒になるなら勘当だ」
と言われたとか、も聞きました。

東京の地名には、「上高井戸・下高井戸」などのように「上〇〇」「下〇〇」という対になっている地名が多いのですが、この町の並び、実は北・南ではなく、西・東に並んでいるのです。そして、西側にある方が「上」、東側が「下」。江戸時代に上方と読んだ京都に近い側が「上」なのです。

そういえば、オシャレなエリア「青山」では毎年、岐阜の郡上八幡から踊りの指南役が来て「郡上踊り」が開催されるのですが、これは郡上八幡城主・青山家の菩提寺が青山の梅窓院(ばいそういん) にあるという縁からだそうで、青山の地名の由来も青山家からついたからなのだそうです。

時代は終われど、江戸の影響は今でも生き続けているようです。

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