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東の果てだからこそ

オスマントルコは軍楽隊の音楽で、遠方から既に威圧する戦法を取っていました。
それは姿が見えずとも音だけは聴こえてくるという威圧。

それは恐怖を与えるものであると同時に、異国情緒に惹かれる人も中には居たのでしょう。

オーストリアは、国名の語源は「東の国」を意味する旧地方名「オストマルク」がラテン語化したもので、 8世紀末、この地を領土としたフランク王国のカール大帝が命名した「オストマルケ(東部辺境区)」に由来します。オストは東、マルケは辺境区という意味。
この名称が今でも残っているのは「デンマーク(デン=北 マルケ=辺境地)」。

ヨーロッパの東の辺境ということは、相対するオスマントルコ帝国と対峙している場所となります。

その地理的関係故、ウィーンなどで遠くから聴こえてくる音をモチーフにした「トルコ行進曲」が生まれたのです。

また、同じく東の果てのヴェネチアと同じくウィーンがコーヒー文化の最先端都市であるのも、オスマントルコの文化の最たるひとつがコーヒーであることに由来します。

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