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「見下し」で思い出すエピソード

大石洋子さんの著書「7日間でなりたい私になれるワーク」(あさ出版)の中で、潜在意識に溜まることで、望む現実の現実化を阻む感情のひとつとして「見下し」が取り上げられています。

この章を読んだときに、過去に見たドキュメント番組を思い出しました。
それは、日本に「裁判員制度」がいよいよ導入される、と話題になりだしたころに放送されたテレビ番組で「デンマークの陪審員のドキュメント」です。

まずはデンマークの刑務所内が紹介されていました。
デンマークでは、社会理念の一つであるノーマライゼーションの考え方が罪を犯した人にも適用されているそうで、それは罪を犯した人を社会的ニーズのある一市民ととらえ、社会の中で普通に生活し、活動出来ることが、彼らの本来あるべき姿であるという考え方である、というところにも及んでいるそうです。
ですので、刑務所収容者を可能な範囲で社会生活に近付け、外部社会との接触を保つようにし、スムーズな社会復帰に繋がるように心掛けている様子が紹介されていました。
同時に、刑務所内は、出来るだけ一般社会の環境に近いように配慮されていました。
具体的には、各収容者の部屋には、一般社会と同様に、ベッド・洋服ダンス・机・本棚・洗面台等が備品として備え付けられていて、私物としての衣類や趣味の物等の持ち込みも許されていました。また各棟には、数人が集まって食事ができるキッチンがあり、収容者同士が調理をしたり、飲食をともにしたりできるようになっていて、さらに個人の部屋は施錠はされないので、自由にトイレやシャワー室、キッチンに行くことができるようになっていました。
普通と異なるのは、キッチンのナイフなどに鎖がついていて、使用できる範囲が限られているくらいでした。

また、実際の裁判の様子と、その裁判に陪審員としてかかわった一般の方のインタビューも見ました。

陪審員として裁判に関わった方が
「自分も、彼と同じような環境にいたら、同じように罪を犯していたかもしれない。」
と、感想を述べていたのが印象的でした。

陪審員として関わることで、罪を決定すること以上に、どうしてそのような犯罪行為を行ってしまったのかを理解する機会とその効果が、社会問題解決意識を市民レベルで持つように、デンマークでは役立っている、という紹介でした。

日本は、裁判員制度の導入に当たっては、デンマークの裁判制度も参考にされたそうです。

「罪を犯した自分とは違う発想をする人」ではなく、
「環境によっては誰もがそうせざるを得ない」という理解。

それは罪を犯した人を“憐み”の目で見るのではなく、ハートの力でいうところの“慈しみ”の力を育てることに繋がっているように、今、思い返して感じています。

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