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これからのこの世界で私がやりたいこと──「すべての人の存在意義が最大化された社会」を目指して #1|鮎澤直希

こんにちは!鮎澤直希(あゆさわ・なおき)です。

今回はPOOLOの卒業制作、#0に続く2回目の投稿です。テーマは、#これからのこの世界で私がやりたいこと。

あまりにも長くなってしまうので、4回に分けてリリースしたいと思います。また0章として、生い立ちも書いたので、興味ある方がいたら読んでみてください。(重要な部分は本編に組み込んでいるので、ちょっと被る部分もありますが)

最初のテーマは、「理想とする社会(ビジョン)」と「問題意識」です。

#これからのこの世界で私がやりたいことというテーマなので「結局あなたは何がしたいの?」ということを最初にを示したいと思います。ちょっと抽象的になるかもしれませんが、わかりやすさよりも本質を重視したいと思います。

#1-1 マイビジョン

人は誰しも自分の人生を生きているのだから、社会のビジョンよりも先に、自分のビジョンが来るべきだと思います。僕もこれまでは社会のビジョンばかり考えていましたが、そこに絶対「自分」はいる。気づいていないだけ。これは僕がPOOLOで気づけたことの一つです。

▼マイビジョン▼

死んでから、世界中の人に「あの人がいてよかった」と思ってもらえること

変ですかね。本質まで考えたら自分はここに辿り着きました。

生きている間はそんなに目立ちたくない。でも人から承認されたい。だから、死んだ後ぐらいの世界の人たちに残るようなことを陰ながら積み重ねて、死ぬときぐらいに「自分は生きててよかったんだ」と、自分で確信できるようになっていたい。

「世界中の人」は大袈裟にかもしれませんが、でもそれぐらいのスケール感で考えたくて。価値観に、平等、寛容、そして"No one will be Left Behind"があると思っています。


#1-2 きっかけ(小学校の頃のはなし)


こうした自分の価値観を大きく形成したきっかけは、小学校の時の経験です。個人的にある程度恵まれた家庭で伸び伸びと育てられた分、小4のときのいじめによるショックは大きかったです。。

ボール遊びの帰りに四方を囲まれてボールをぶつけられ取りに行かされ授業に遅刻したり、サッカーの試合に入れてもらえなかったり。。。。

一般的にはいじめのレベルではないかもしれないですが、個人的には痛烈でした。排除される者の苦しみを味わったのです。

あと、年表には記載していないですが、その当時小学校で見ていた「はだしのゲン」は、個人的に戦争の恐ろしさを痛感した経験でもありました。修学旅行も広島で、徹底的に戦争の恐ろしさを教え込まれましたね。

#1-3 理想の社会

・自分が排除されている状態
・自分の存在意義を感じることのできない状態
こんな社会を変えたい。
それと同時に、たくさんの人が理不尽な不幸を味わう状態をなくしたい。

今の自分には無理かもしれないけど、死ぬ時までにはなんとかしてやる。(いつ死ぬかわからないんですけどね)

そう考えるようになったのが根底にはあると思っています。

そんな自分の社会に対するビジョンは、

この世界に生きるすべての人の存在意義が最大化された社会

です。

理不尽な要因によって人が死んだり、人が不幸になるのが嫌いで、争いや衝突がない社会、一人一人が自分の幸せだけでなく他者や社会全体の幸せを考えられる社会になったらいいのになと思っています。

そしたら社会の問題も絶対生まれなくなっていくし、結果的に自分自身も幸せになれる。そう考えています。

ちょっと掘り下げた言い方をすると、
「社会貢献欲求や他者貢献欲求で溢れた世の中」
が、目指したい社会かなと思っています。

外に対して貢献することが、良いように評価されるから、稼げるから、だけじゃなくて。自分の「欲求」ともいえるぐらい、誰もが思わず自然と社会に働きかけたくなるような世の中って無理なんかな…って思っているわけです。相当理想論ですが。

#1-4 自分が解決したい「問題」って何?

理想的には、すべての社会問題を解決したい。でも社会問題って山ほどありすぎて、それが解決してもまた問題が生まれ、結局自分の理想の状態がわからなくなる。

じゃあ結局目指すべきなのは、社会の「問題」が起こらなくなる、起こってもすぐに解決できる世の中にすることではないのか?ということです。

これは途上国においても、日本においても、現在も50年後も、おそらく目指すべき社会として不変かなと思っています。

ちなみにここでいう社会問題とは、「社会の欠陥や不合理から生まれる問題で、実際に社会で生活していく上で支障をきたすほどの大きな問題」を指します。(参照:株式会社ボーダレス・ジャパン

現代社会、特に20世紀においては、MDGsに代表されるように発展途上国における貧困、医療、食糧などの生存に関わる問題が「社会問題」としてフォーカスされてきました。

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しかし日本をはじめとする先進諸国、さらにこれからの地球社会においては、生存に関わる問題が最優先でありながらも、教育、雇用をはじめ、テクノロジーが発達した世界における「人間の尊厳」に関わる問題や、環境やエネルギーなど「人間活動の持続可能性」に関わる問題がフォーカスされるようになってきています。

SDGsは、MDGs時代の社会問題と、そうした未来社会の問題をつなぐ上で定義された、「今(2030年までに)」地球社会において解決すべき目標ですよね。

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これらすべての問題を一つ一つ地道に解決していく方法はもちろん大事。そのようなソーシャルイノベーターが生まれない限り、今の問題は解決しません。
でも経済的に発展しても、新たな社会問題がまた生まれ解決しない状況が続いてしまう、経済格差が縮まっても、「生きててよかった」と思える人と思えない人の間の格差は縮まらない。

「社会の欠陥や不合理から生まれる問題で、実際に社会で生活していく上で支障をきたすほどの大きな問題」が徐々に解決されているいま、社会問題は「人間の生きる意味(存在意義)に支障をきたすほどの大きな問題」としてまた現れてきているはずです。

いじめ、鬱病、ジェンダーギャップ、その他差別や偏見による尊厳の喪失etc...
さらに今日、コロナウイルスの影響で職を失った人が、身近に存在を無条件に認めてくれる人がいない限り、自分の存在意義(価値や可能性)をどんどん見失っていくなどといった問題です。

でもこれはコロナ関係なく、労働がテクノロジーに置き換えられた後の世界において、結局問題になっていくことだと思うんですよね。。

(数十年のスパンで見ると、経済的な問題はおそらくベーシックインカムなどである程度解消できて、残るのは「存在意義」の問題になってくるのではないかと踏んでいます)

この構造を解決することが、この世から社会の「問題」が起こらなくなる、起こってもすぐに解決できる世の中にする上で、必要なことなのではないかと思うわけです。

#1-5 次回予告

だんだん話が壮大で抽象的になって抜け出せなくなってしまいましたが、こういう壮大なことを考えて、死ぬまでの間になんとかしてやると思い行動し続けることが生きがいなんだと思います(笑)。

もちろん社会のことを思って考えていますが、過去の屈辱や自分の趣向からくるエゴであることも確かです。

こんな自分が、こんな世界で、できることはなんだろうか。。
#2では、自分の「ミッション」について書きたいと思います。つまり、この世界で自分に科された役割とは何か、自分だからこそできること、やりたいことって何か。

いろんな体験をもとに「僕のやりたいこと」はどのように形成されてきたのかをかけたらと思います。

続く。。。

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