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電車が好きな息子と、そうでもない僕

 僕の息子(5歳)は無類の電車好きである。
 彼が最初に発した言葉らしい言葉は「パパ」でも「ママ」でもなく、「でんしゃ」だったし(その時僕は激しく電車に嫉妬した)、彼が最初に読めるようになったアルファベットは、「JR(じぇいあーる)」だった。
 彼のお気に入りのテレビ番組は当然「シンカリオン」だが、それに加えて「鉄オタ選手権(NHK)」や「鉄道ひとり旅(tvk)」なんていう相当マニアックなものも、何度も繰り返し、セリフを暗記するくらい観ている。
 そしてお気に入りのおもちゃは当然プラレールだ。プラレールについては、リーズナブルなお値段ではあるものの、その拡張性、バリエーションの豊富さから、一度買い始めると際限がなく、家計を圧迫することが危惧されたため、つい最近まで我が家では禁忌とされていた(欲しがる息子には代替措置としてダイソーの「プチ電車シリーズ」が与えられた)のだが、息子の真摯な、そして執拗な要望に対し、昨年の冬、サンタクロースなる全世界的に子ども達から圧倒的支持を受けているカリスマ老人が、遂に彼の希望を叶えてしまった。
 以来、我が家のおもちゃ箱は、青いレールと多彩な車両たちの占領地が加速度的に増え、哀れなプチ電車シリーズたちは次々と駆逐され、その役目を終えることとなった(安価ながら彼の情熱をこれまで一身に受け止めてくれた恩を、僕は忘れない)。

 対して父である僕は、さほど電車に興味がない。
 彼くらいの年齢の時には、乗り物全般を好きだった記憶はあるが、電車という存在にそれほど心惹かれることはなかった。親子でありながら、この情熱の差はどこから来るのか。なぜ彼は、ここまで電車という存在に魅了され、日がな1日プラレールを走らせては床に顔をくっつけて見ていられるのか。

 それはやはり、生まれ育った環境によるものだろう、と僕は結論づけた。
 僕が生まれ育ったのは北海道の片田舎で、無人駅でこそなかったものの、電車(北海道においては「汽車」と呼称されていた)が来るのは1時間に1、2本、それも「キハ40」とかそういう古い国鉄型車両が1、2両というレベルだった。日常的に利用する交通手段は車、若しくはバスであり、電車という存在は僕にとって疎遠だった。
 対して、息子が生まれ育った地であるここ東京においては、線路が縦横無尽に走り、JRに加えて都営線、私鉄各社がシノギを削っていて、車両のバリエーションもそんなに必要なのかっていうくらい多様だ。山手線や中央線などのカラフルな在来線、スカイライナーや成田エクスプレス、ロマンスカーなどのデザイン性に優れた特急列車、さらにはのぞみ(N700系)やはやぶさ(E5系)などの新幹線まで走っていて、ちょっと電車に乗ればたくさん(しかも無料で)見ることができる。
 こんな恵まれた環境にあっては、生来的にメカ好き、乗り物好きな男子に電車を好きになるなという方が無理な話ではないか。僕もおそらく、この東京で生まれ育っていれば、息子のような電車好き、鉄分を求めて彷徨う「鉄オタ」の一員になっていたのだろう。

 息子の電車好きを理解はできるし、共感もできる。しかし電車に対して情熱を傾けるには、僕はもう歳を取りすぎてしまった。それが僕には残念であると同時に、でもそれはそれでありなのかもしれない、とも思う。
 全く同じ対象に情熱を傾けられるのも素晴らしいが、違う価値観を有し、「あーそれも面白いね」と理解し合える親子関係も、悪くないんじゃないだろうか。

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