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ニュースの功罪 〜日々起きる不愉快な事件への対処法〜

 世界には、たくさんのニュースがあふれている。
 我々は、寝転がりながらスマホのニュースアプリで積極的に、あるいは通勤途中の電車のモニターで受動的に、日々ニュースに触れている。
 ニュースのほとんどはネガティブなものだ。誰かが誰かを悪意を持って傷付けたり、国同士が政治的立場の相違によって非難の応酬をしたりしている。
 何年経っても同じようなことが、キャストと舞台装置を替えて繰り返されていく。時には、人類はこの数十年、進歩なんてしていないんじゃないかとさえ思う。まあでも、それを言い出すとキリも救いもないので、ここではやめておく。

 ネガティブなニュースに触れると、僕はいたたまれない気持ちになる。特に子供の虐待や、「拡大自殺」とか言われる(でも自分は死んでいない)他人の尊厳を踏みにじるような犯罪や、そういったニュースは見たくもないのに気になって読んでしまうし、読むたびに嫌な気持ちになる。虐待される子供の胸の痛みや苦しさや、理不尽な動機で犠牲になる被害者の無念や、そういったものが僕の胸にも去来し、それは怒りに変わっていく。
 「なぜなのか」という答えの与えられない問いだけが、怒りと哀しみと少しの諦めとともに、僕の心に響いていく。なぜなのか、なぜなのか、なぜなのか。

 そのどこにも持っていき場所のない感情を、ごく少数だが、他者にぶつける人々がいる。加害者の関係先を「特定」して非難の電話をかけたり、SNSを炎上させたりする人々だ。自分のネガティブな感情を抱えきれず、「正義」の衣をまとって、更なる迷惑を撒き散らす人々。自分が新たな加害者になっているという事実に思い至ることのできない哀れな人々。僕はそういう人にだけはなりたくないと思う。

 また僕は、そういう「ただ突き付けられるグロテスクな事実」によって、多くの人々が心を痛めているという現状はいかがなものかと思う。望んでもいないのに、目の前のテーブルに醜悪で悪臭を放つ料理を出され、「後はお好きに」とウェイターに言われて放っておかれた客のような気分だ。
 どうにも解せないのは、そんな料理を好んでつつき回し、いろんな角度から見てああだこうだと論評をする人々もいるということだ。どうつついても不愉快さは軽減されないし、むしろ増幅するというのに、嬉々として彼らはそうしている(ように見える)。僕には理解できない(だから僕は、いわゆる「ワイドショー」と呼ばれるテレビ番組が嫌いだ)。

 結局のところ、不愉快なニュースに対し、当事者ではない僕らができることはほとんど何もない。望んだところで「なぜ」に対する答えは与えられないし(報道というものは実に一方的で断片的なものだ)、犠牲になった人たちを助ける手段もない。

 じゃあどうするか。
 僕はそういうニュースを見て嫌な気分になった時は、ゲームをする。
 なるべく何も考えずに済むような、夢中になれるやつがいい。5分もすれば、そんな嫌な気分はどこかに行っている。
 元々僕自身に起因している気分じゃないから、消えるのも早い。阿呆みたいな話だが、本当なので、ニュースで嫌な気分になった時は、みんなゲームしよう。

 不愉快なニュースなんて、世の中から消えてなくなれば良いと思う。でも絶対、誰かがどこかで嫌なことをして、それを人々は見逃さない。フォーカスして、クローズアップして、あーだこーだ言って、そのうち忘れていく。
 なんとかならないのかな、この現状。

 

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