落盤

「落盤」と言われても、なんのことだかピンとこない方が多いだろう。
石炭や鉱物を採掘する際に、トンネル状の坑道を掘って掘り進むのだが、地盤が緩かったり採掘した鉱石の重さでトンネルの屋根や床に相当する部分がはがれ落ちる状態をいう。
当然、作業員は閉じ込められる状態になるし、場合によっては圧死や漏れ出てきた水やガスで死亡することも珍しくない。
私が子供の頃、故郷の筑豊は斜陽化が進んでいたが、石炭を掘っていて、同様なことが日常的に起きていた。
町のどこかで葬儀があり、今日元気だった人が帰らぬ人となったことも珍しくなかった。

そのせいだろうか。それとも、こういった職業について紛争地に取材に行く人に多く出会うからだろうか。「この人にまた会えるだろうか」と思うことが増えた。
かくいう私も、明日を保障された身分ではない。今、とある出版社さんから依頼を受けて単行本を書いているが、全く取材が進まず、あきらかに進める方向性を間違ってしまった。今までにないミスに呆然としたが、書きためた原稿を破り捨て、再度一から書き直している。

文字通り、落盤に遭遇したというわけだ。まあ、這い出せて作業を再開できるのは幸運だったのだが。
社会問題について書く本は、いつも悩む。どこまでを書くべきか。
いくら理想論を唱えても、本当のことを書くことで、今日の生活が壊れてしまう人がいるのも事実だ。
目でみた事実は記録しなければならない。それが私の仕事だ。
だが、それによって、いわれのない差別を責めを受けたり、安心して毎日を暮らせなくなる人が一人でも出るとしたら、私はとてもその責をつぐなえない。

私たちが過ごす2016年は、準戦時下だ。
その中でも裕福を享受する人もいるし、想像を絶する貧困や、虐待、人として扱われない法と道徳を無視した理不尽が横行する時代だ。

その不正を暴けば、善良な誰かの生活が破壊される可能性があるとき
それでも真実を公表すべきだろうか。

何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時

殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時

泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時

石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時

求める時、失う時
保つ時、放つ時

裂く時、縫う時
黙する時、語る時

愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。
(旧約聖書 コヘレトの言葉03:01-03:08)

私は、今、どの時にいるのだろうか
ただ、書き続けなければならないのは事実だ。
無事に書き上げたとしても、掘り下げた坑道から脱出できずに溺れたり
再び落盤に遭遇する可能性もある。

その恐ろしさをよく知りながら、ペンを止めることができない。