見出し画像

ルームメイトは美食の女神


「一生貧乏しますが、食べ物だけはどんな時も恵まれます。あなたは、美食の女神様が一生ずっと一緒にいてくださるはずですから」


いつだったか失念したが、たまたま見てもらった占い師から、そう言われたことがある。占いの類いは信じないほうだ。したがって、「美食の女神」なるものがいるとも思っていなかった。だが、その占い師の言うとおり、こと食べ物に限っては、それ以来およそ困ったことがない。

二十年近く前、商業誌で書かせてもらえるようになった頃は、おそろしく貧乏だった。家賃や光熱費などを払うと、残金が二千円程度ということもザラ。


「はたらけどはたらけど 我が生活(くらし) 楽にならざり ぢっと手を見る」

石川啄木の有名な短歌よろしく、かろうじて残った千円札をテーブルに並べて、「さて、今月はどうやって生活したものか」と途方に暮れていると、どこからともなく食べ物が届く。しかも、揃いも揃って高級食材ばかり。

農家の方が精米したばかりのブランド米、名店の職人さんが焼いたパン。純国産の甘く香ばしい香りのする手打ちそば。赤身と濃厚な脂の旨みがある飛騨牛や葉山牛。そして、雉や鴨といった高級な鳥肉、

いい意味で、青臭さが残る繊細な味がたまらなく魅力な鎌倉野菜や江戸野菜。海外産のチーズやその他諸々。魚にいたっては、およそ国内で流通しているものは、ほぼ口にした。海外の魚も、よく口にする機会に恵まれる。

あるとき、フランス料理で使われるブロシェ(川カマス)という魚がいることを知った。

なかなか凶暴な顔をした魚だが、白身の魚で、独特の旨みがあるらしい。ぜひ一度ご相伴に預かってみたいものだと思っていたら、その日の夕方に友人が訪れ、ブロシェを使ったクネルというフランス料理を振る舞ってくれた。

ここまでくると、見えこそしないものの美食の女神とやらが、同居しているのではないかと考えるのは自然な心理だろう。


ある時、試しにお金が無理なら、お金に換えられそうな高級食材をいただきたいものだと彼女に願ってみた。なんと、翌日に、フランスの高級ワイン「クリュッグ(時価二十万円程度)」が、仕事で携わったフランス企業から送られてきた。

さすがに驚いたが、決済が滞って現金が必要だったのでこれ幸いとばかりに、オークションで換金しようと考えた。

だが、ここまで出来すぎた偶然もないだろう。超自然的なはからいに畏敬の念を感じて、結局、換金は行わなかった。

以来、美味しい食事で癒やされたい時は、彼女にお願いすることにしている。どうやら、美食の女神様は、気前がいいらしい。おかげさまでそれ以来、気持ちに余裕が出る食生活を送っている。

おねだりばかりでは、しのびない。何が好みなのか教えてくれれば、包丁を振るおうと思うのだが、なかなか答えは返ってこない。だから、彼女から答えが返ってくるまで、クリュッグは開けずに、寝かせておこうと思う。