素材の良さを活かして広めたいって思ったワケと国産小麦に落胆した話

〜素材の良さを『活かして、届けて、発信する』〜
とか、
「素材の本来性の追求」
とか、素材に対する価値観が形成された大きなキッカケは勝沼ぶどう郷での葡萄巡りの日帰り旅だった。

葡萄に教わった進むべき道標

多くの農園では複数種の葡萄が育てられており、買えば1000円前後するような高級品なのに試食サービスを行っているところもあった。

それまでは僕の中でマスカットといったらシャインマスカットしか浮かばなかったが、今ではマスカットにもたくさんの種類があることを知った。

色も黄緑色のものから少しパープル混じりのもの、ノワールと呼ばれるほど黒光りしているものまで様々だ。

面白かったのが甘味と香りの相関性。

「砂糖よりも甘いよ、死ぬほど甘いよ」
とオススメされたゴールデンマスカット、これはシャインマスカットを通常より長く樹上で熟させてから収穫するもの。

確かに甘い、すごく甘い。
けれども、普通のシャインマスカットの方が「ザ・マスカット」な香りが際立っています。

収穫が早すぎても香りは弱いが、かといって熟せば熟すほど香りが強まるかというとそうではない。
香りのピークと甘みのピークはタイミングが異なるようだ。

次の年は二ヶ月ほど早い時期に遊びに行ったが、どれも香りが弱い。
唯一、「わたあめのような香り」と言われるゴールドフィンガーからは確かにわたあめの香りを感じられた。
しかし肝心なシャインマスカットからは、シャイン特有の香りが感じられなかった。
品種や栽培方法の違いによる風味の変化だけでなく、「旬」の重要性を体感させられた。

元々、葡萄をそんなに好きじゃなかった。
食べるの面倒くさいし、高いし、味だって嫌いじゃないけど好きでもなかった。

そんな僕が、勝沼ぶどう郷という駅名に心惹かれ、ふらっとノープラン日帰り旅を決行した結果、すごいワクワク感を味わったのだ。

大人になってから、「好きな食べ物」という概念が薄れてしまって、昔はメロンとももが好きとか言えてたけど、今は何が好きとか急に聞かれても答えられない。

けれども、
「葡萄っておもしれぇな!」
とはハッキリ言える気がする。

食材探求の真の面白さに気付いたのは、きっとこの体験だと思う。

ナス嫌いだった大人が今ではナスのステーキを自ら焼いて食べるようになった

ナスもなかなか面白い。
それこそナスなんて昔は食わず嫌いだったし、食べられるようになったのは大人になってから。

だけど、ZIPの『旅するエプロン』で白ナスの特集を見てから、ナスも品種によって全然違う面白さがあるような気がした。

八百屋でたまたま青ナスや白ナスを見つけ、試しに自分で調理してみたところ、やっぱり全然違う。
同じナスなのに、それこそ最適な調理法がまるで異なる。
どっちの方が美味しいか、なんて次元の話ではなく、どの品種にも異なる最適なステージが用意されている。

30年間パン一筋だった米嫌いパン職人が、パンより美味いと思ったお米との出会い

お米の美味しさに気付いたのはつい最近だ。
レシピ開発で関わらせてもらったベーカリーのオーナーさんから、ミルキークイーンの新米を頂いたことがキッカケ。

「まぁ、確かに普通の米よりは美味しいかな。」
なんて思いながらも、気付けば箸が進むったら進む。

そもそも僕は「米嫌い」でした。
幼少期にお粥を出されても食べなかったがパン粥は食べたという話を親から聞いた事がある。
物心つく前から米はあまり好きじゃなかったようだ。

「白米だけで飯食える」
と言う人の気持ちが全くわからなかった。
牛丼とか親子丼とか、とりあえず丼にすれば美味しく食べられるけど、米単体で食べる行為はもはや苦行でもあった。

そんな僕が、初めて米単体でバクバク食べ進めたんですよ。
「本当に美味しい主食って、こういうことなのだろうか?」
なんて価値観も生まれた瞬間です。

その後、米屋で『香り米』という珍しい古代米を見つけ、ポップコーンのような香ばしさと説明され気になって購入。
実際に炊いてみたらお世辞抜きで言われた通りの香りが立ち上る。
「こんなコメがあったのか!」と驚愕。
穀物って本来こういうもんだよな、とも思った。

岐阜県産の日本一美味しいお米『龍の瞳』は確かに相当美味しかった。
通常の2〜3倍ほどの大粒で食べ応えがあり、コクがある。
甘みが強いのはもちろんだが、ただ甘いだけではなく甘味と旨味のバランスが優れている。
それこそ米単体で食べなきゃ勿体無いと思うほど、感動的な美味しさだった。
ただ、これは品種の美味しさもそうだが、精米技術による恩恵も大きいようだ。
旨味のあるアリューロン層をうまく残した精米と、それを洗い流さないよう優しく洗米すること。
炊き方によっても味が全然変わることに気付いた。

小麦粉の良し悪しって味じゃないかもしれない

ここまで記事を書いてみて気付いた事がある。
元々好きでもなかった食材から大きな感動を得ているな、と。

じゃあパンもとい小麦粉はどうかというと、好きであるが故に期待をし過ぎてしまっているのか、違いを感じられてもそれほどの大きな感動は最近得られていない。

むしろ、落胆することの方が多い。

小麦粉はどうやら品種の差よりも、品質管理の差がとても重要であるように最近思わされている。

もちろん品種が違えば全然違う小麦粉になる、これは決して無視できない変化だ。
無視して同じレシピで作ろうものなら確実に失敗する。

けれども、例えばA社の春よ恋がいい感じだったからといって、B社も同じようにいい感じであるかというと、そうではない。

吸水や香りが異なり、出来上がるパンの食感が全然違うことはよくある。
それどころか、明らかにハズレな粉に出会うこともある。

雨が降り始める前の湿った匂いというか、雨が降り終わった後のカビ臭さというか…
前者はペトリコール、後者はゲオスミンと呼ばれるらしいが、とにかく食品としてはあまり好ましくない臭いがプンプンする粉に出会うことがあるのだ。

湿った体育倉庫のような臭い、とも言えるだろうか?

一度、明らかに臭くてメーカーに問い合わせた事がある。
「たまたまふすま(外皮)部分が多く入ってしまったロットがある」
と回答され、交換はしてもらえた。

けど、ふすま臭なら全粒粉である程度嗅ぎ覚えがあるはずだが、そんな不快な臭いではなかったはずだ。
試しにふすま単体を買って匂いを確認するが、確かに大地の匂いとも言える香りを感じるが、湿った匂いとは明らかに異なる。

小麦粉は周りの臭いを吸いやすい食品であるため、管理が悪いと香りも変わってしまうのではないか?

「流石にメーカーがそんな粉を気付かずに流通させるはずないでしょ」
と思う人もいるだろう、僕もそう思いたい。

けど、どうやらペトリコールやゲオスミンの臭いを雨の日に感じ取れる人は一部であり、多くの人は感じ取れないとのこと。

臭いの感受性って個人差凄くて、アスパラ食べた後の小便ってすごく臭くなるんですけど、皆さんはそう思った事ありますか?
これは、実際に臭くなる人とならない人がいて、臭くなる人の中でも自分で臭いを検知できる人とできない人がいるらしい。

そりゃ気付かずに流通する可能性もあるよなって思う。

けど、ペトリコールしかりゲオスミンしかり、どっちも雨や湿り気に関連する臭いだから、なんか品質的によろしくない気がしてならない。

これは農家さんの栽培方法というよりも、農家さんの小麦管理方法であったり、あるいは製粉会社の管理方法もあるかもしれない。
色々な経路を辿っているから推測は難しいけど、それほど小麦粉というのは品種や栽培だけでなく製造や管理の重要度が高いってこと。

最近はそういった臭いの悪い粉に出会ったり、生地感が著しく去年と変わり過ぎている粉に出会ったりすることが多い。

国産小麦のカビ毒「デオキシニバレノール」事件もある。

単純に素材との出会いを楽しめない、なんか色々考えさせられる、そんな日々を送っている。

神はそんなに僕をパンから遠ざけたいのか?なんて思ったりもする。神って誰だよって感じだけど。

そんなこともあってか、
「国産小麦使用、だから安心安全だよ!意識高い人はウチのパンを食べて健康になってね!」
みたいな雰囲気を謳う店に対する違和感がより強まってしまった。

「作り手と会った事すらないくせに、なんの根拠で安心安全とか言えるんだよ。食べて健康になるとか、どんなスーパーフード使ってんだよ、白いパンにそんな健康効果ないだろ。」
と、ツッコミどころが多すぎる。

そんなことより、味で勝負しようぜって思う。
味に自信持とうぜって思う。
自信持てないなら自信持てるまで研究しようぜって思う。

話が軽く脱線したけど、小麦粉の場合はマスカットやナスのように品種によって味が180度変わるなんて事はない。

食感や風味に多少の変化が現れるくらいで、職人の知恵と工夫次第ではその差も縮めることが出来るのがパン作りだ。

グルテンが弱いなら超強力粉やグルテン粉末をブレンドすればいいし、歯切れ良くしたいなら薄力粉などをブレンドすればいい。香りを強めたいなら灰分の高い粉をブレンドするか、脱脂粉乳を増やしたり焼成温度のコントロールでメイラード反応を増やすことでも香りは高まる。

米や野菜が品種選びで9割決まるものだとするなら、パン作りは品種選びで5割くらいしか決まらないのではないか?

そもそも、ヨーロッパ各国におけるパン文化の多様性を見れば、パン文化というのは「この地で採れたこの小麦粉を、どうやったら美味しく食べられるのか?」という疑問から発展していったものだとわかる。

フランスに程近いイタリアがなぜバゲットではなくフォカッチャやピザなど平焼きで具材と共に食すようなパンが主流になったのか?
それは、フランスで採れていた小麦ほど発酵性能やガス保持性能が高くなく、あのスタイルが最適だったからだろう。

あんなに具材を乗せちゃってる時点で、はなから『小麦の味』なんてものにまるで期待していないのは明白だ。
それでも、そんな小麦を工夫して美味しく食べていたのだ。

よくよく考えてみたら日本で「基本の食パン」と言われるベーシックな食パン配合に必ず砂糖が5%前後入るのも、寝かせても大して熟成しない淡白な北米産小麦を美味しく食べるための工夫なんじゃないか?

北米産の強力粉単体で、それこそモルトも使わずにバゲットなんて作ろうものなら、まるで味わいの単調なものが出来上がる。

そう、つまり小麦粉って必ずしも味が優れている必要は無いのかもしれない。

だけど、味の濃い品種だろうと淡白な品種だろうと関係なく、品質管理はとっても重要で、嫌な臭いを吸わせてしまったりカビに汚染させるようなことはあってはならない。
そうなったら作り手の努力だけではどうにもならない。

農家さんの顔が見える小麦粉って、そういう意味ではとっても勇気のいる行動だと思う。
何かあった場合に自分の顔に泥を塗ることになるのですから、顔を出す側の責任は重大であり、顔を出さない農家さんよりも品質管理に精を出さざるを得ない。
杜撰な管理をすれば必ず自分1人に返ってくる、そんな状況をあえて自ら作っているのですから、そのプレッシャーも大きいはず。

もちろん、個人名で粉を販売している場合でも明らかに臭い粉を売っている人もたまにいるから、顔が出ているからといって必ず安心とは限らない。結局はブツで判断しなければいけない。

けど、ものづくりの『姿勢』みたいなものは必ず現れてくるから、そういった雰囲気も感じ取ることが大事なのかもしれない。

多少、風味が淡白で面白みはない粉だったとしても、圧倒的に徹底した品質管理をしていれば、それって小麦粉としてはかなりの価値があるものなんじゃないか?

面白みがないなら職人が面白くしてやれば良いんだから。
ダイヤの原石を発掘してプロデュースする敏腕プロデューサーみたいに、素材が面白くなれるかどうかのカギを職人が握ってるんだから。

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