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マイノリティの声の上げ方とマジョリティの捉え方
こんにちは。なおきです。
ちょうど今こんなツイートが僕のTLで話題になっています。
マイノリティや弱者が主張強すぎて、マジョリティや頑張ってる人の幸せや自由を奪ってる構図増えてきてない?
— 緒方憲太郎(Voicy代表) (@ogatakentaro) August 25, 2022
マイノリティや弱者が主張強すぎて、マジョリティや頑張ってる人の幸せや自由を奪ってる構図増えてきてない?
僕のフォローしている人たちの中で特にアクティビストと言われるような人たちはかなり憤っています。
例えば乙武さんも反応されています。
緒方さん、先ほどのママ垢の筋トレツイートの件からこのようなツイートをされているなら悲しいです。
— 乙武洋匡 (@h_ototake) August 25, 2022
ただのクレーマーと、マイノリティの主張を混同されるのは本当に困りますし、もう筋トレするしかないです。
またこんな声も見受けられます
マジョリティが無自覚に差別の片棒を担いでいたり、見て見ぬ振りしたりする状況が続いているので、マイノリティの幸せや自由を奪っている構図が減らないんですよね。
— つくし@産まれました (@DosankoTsukushi) August 25, 2022
だからこそ、マジョリティなら不要な労力を使って、強く主張するのではないですか? https://t.co/lFMEv0IVv1
この件で浮き彫りになったのは、マジョリティ側がマイノリティの声をどのように捉えているのかということなのではないでしょうか?
緒方さんの声はマイノリティを軽視しての発言というよりは、マジョリティ側が今マイノリティに対して感じている想いが漏れ出たものだと個人的には思っています。
確かにマイノリティ側の主張は痛いほどわかる。
どうにもならないから悲痛な叫びとなり、自分の外の世界へと放出される。
しかし、それを外の人間はそのまま受け取ることは「現状」難しい。
それはBlack Lives Matterのムーブメントを見れば一目瞭然だっただろう。
過去黒人が受けてきた差別をおかしいと思い賛同した多くの非当事者(黒人のルーツを持たないという意味で)がどこか哀れみのような、同情のようなものを持ってあの活動に参加していた。
それは、本来「自分たちは特別な存在で無くあなたたちと同じなんだ!だからみんなで共に世界を生きよう」という趣旨で始まったBLMとかけ離れ「彼らは可哀想な存在だから彼らが望むことをして先人達の行いを償おう」というようなものに段々と置き換わっていったことからも明らかと言えよう。
結局何を言いたかったのかというと、マイノリティ達の悲痛な叫びは、「よくは理解出来ないが辛そうな声」として認識され、自分たちもまた苦しい世界を生きているのだからみんな等しく苦しんでるよね。僕たちもそれなりに苦しい世界を生きているし、何もあなたたちだけが苦しい世界を生きている訳ではないと主張するマジョリティの声にかき消されそうになっている。
そして、マイノリティはそれを「マジョリティ側はまだ自分たちの自由と主張を奪い続けるのか」と憤る。
こういうやり取りを見ながら僕はいつもこういう水掛け論にならない対話のあり方を探りたいと切に願う。
要するに、マイノリティは自分たちの主張の仕方がマジョリティにどのように捉えられているのかの認識が出来ればいいなと思うし、マジョリティ側には何故マイノリティはこのようなカタチで声を上げ続けているのかについて理解が広まればいいなと思う。
これは決してどちらかが変われば解決する問題ではないと僕は思っている。
そして、今までの方法では解決しないとも思っている。
今までにない、新たな方法によるトライがそろそろ必要なのではないだろうか?
その方法を僕は今の研究で探している(ほぼ結果的にというか副次的に見つけるものになりそうだが)のではないかと思っている。
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