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日本の将来は、少し明るい――ディベート甲子園からみえる未来

8月8日(月)に、今年のディベート甲子園は終わった。
ディベート甲子園、全国中学高校ディベート選手権大会は、中学生、高校生がリサーチスタイルのディベートを競う。
今年は、3日間の大会期間中、4試合ほどの審判を務めた。
中学生、高校生のディベートを見て、聴いて、審判をしていて、日本の将来は少し明るいのかもしれないと思った。

中学生がスマホを持つことの是非や石炭火力発電の是非を、半年かけて調べ準備し、それをわずか十数分の中に込め、議論をする。
準備したことの大半は、使われることがない。
しかし、ディベートのために準備したことは、深く社会の仕組みを知ることになる。
ディベートの試合をすることで、相互に検証し、独りよがりや偏りを正すことになる。
この経験を経た中高生たちが、社会に出ていけば、建設的な議論がなされるのではないか。

試合のフローシート わざとピンボケです

妬みや嫉みからの暴言や相手を貶めるためだけの讒言ではなく、よりよく知り、作り上げる議論ができるのではないか、と思ったのだ。

ディベートの力は社会が中庸なすに、欠かせないことだと思う。
そして、適度な認知的閉鎖欲求と高い曖昧耐性は、ディベートでできるのではないか、とひそかに思っているのです。

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