刑事司法の前近代性

 日本の文化に多大な貢献をしてきた角川歴彦氏も自分が逮捕・勾留される立場に置かれる日が来るとはよもや思わなかっただろう。自分が被疑者・被告人の立場に立ってはじめて日本の刑事司法の前近代性、世界の潮流から全く遅れた人権保護とは程遠い現実を目の当たりにすることになる。犯罪を犯している自覚があるならともかく、違法性の意識が全くなければ、この状況は耐え難いはずである。


 しかし、善良な一般市民と同様角川氏も自らが被疑者・被告人となるまではこの前近代的な刑事司法の在り方を強烈に批判することはなかった。国連が執拗に人権侵害の勧告を続けても顧みることはなかった。それは、犯罪や犯罪人が自分のたたずむ領域からあまりにもかけ離れていたからだろう。前近代的な刑事司法が夢にも自らに刃を向いて襲い掛かってくるとは想像すらしなかったに違いない。

 
 しかし、基本的人権が勝ち取られた歴史を紐解けば、国家と人民の壮絶な争いの中で得られ、憲法は国民を縛るものではなく国家権力の乱用を縛るものであることは、ある程度の教養を有する市民なら知っているはずのものである。治者と被治者の同一性をおぼろげながらも信用するあまり、まさか国家が自分の身体を拘束する日が来ることになるとは思いもよりはしない。しかも国家が正しい判断をすれば自分の身柄を解放することは難しくないと期待する。

 残念ながらその期待は見事に打ち砕かれることになる。

 なぜ裁判官は検察官による被告人の身柄の利用を簡単に認めるのでしょうか。答えは単純です。裁判官も被告人の身柄拘束によって利益を得ているからです。

高野 隆. 人質司法 (角川新書) (p.160). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版

. 国家を信頼しても信用してはいけない。裁判所も検察も最終的には自らの利益や組織のために動くことを肝に銘じるべきだろう。

勾留の請求を受けた裁判官は勾留すべきか釈放すべきかの判断をどのような手続でするのでしょうか。驚くべきことに、日本の法律にはこの手続を定めた規定が存在しません。わずかに、被疑者の陳述を聴かなければ勾留決定はできない(61条。これを「勾留質問」と言います)、被疑者に弁護人選任権を告げなければならない(207条2項ないし4項)という規定があるだけ

高野 隆. 人質司法 (角川新書) (pp.191-192). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版

. この状況を放置することは、いつなんどき身柄を拘束される事態が生じたとしても訴追側のされるがままにされ、裁判所も検察の言いなりになり、むしろ事件処理のために検察に加担して人権を侵害することに躊躇しないということを自覚しておくべきだろう。

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