読書感想文「実は、拙者は」白蔵盈太著 双葉文庫

 「松の廊下でつかまえて」の作品を読んで以来、押しの作家のひとりだ。

 著者の真骨頂は、歴史上の人物を別の角度から見たときに、どのような心理状態で行動していたのか著者独自の心理描写で描く点にある。ある程度歴史に精通していると事実の流れは承知しているので、読者を飽きさせないためには作家特有の工夫がいる。著者は歴史上の人物の心理に焦点をあて、想像力を発揮させ、説得力をもって、こころの機微を克明に描くことで、共感を誘い読者を獲得しているように思う。


 本作は、そんな著者が時代小説に挑んだ作品である。歴史小説と違って登場人物は歴史上の人物ではない。作者の創作力がより発揮される。
 
 舞台は八代将軍徳川吉宗公の時代。主人公は深川の長屋に住む俸手ふりの八五郎。隣に住む浪人の裏の顔を知って・・・、というところから物語が進む。

 現代でもありそうな設定を江戸時代に持ってきたらどうなるか、身分制や長屋の人情、江戸時代特有の事情をおりまぜながら、主人公の心理状態を克明に描く。そして、影の薄い主人公が登場人物たちの裏の顔をあきらかにしていく。

 その時代の雰囲気を共有できるという時代小説特有のおもしろさもさることながら、著者持ち前の心理描写の巧みさが読者の共感を誘うのだと思う。

裏の顔を持つために必要なのは、能力の高さではない。  
表の世に暮らす、善良な人たちの前でずっと偽りの自分を演じ、もうひとつの裏の顔を隠し続けるという心の強さだ。自分にはその強さがないことが、一連の騒動を通じて八五郎には身に沁みてわかった。

白蔵盈太. 実は、拙者は。 (双葉文庫) (p.208). 株式会社 双葉社. Kindle 版

 本作品での一番好きなフレーズだ。「影の薄さ」という能力を買われた主人公が将軍直属の組織に誘われるシーンでの主人公の心理を描いた場面。
「能力の高さ」と「心の強さ」の問題は現代にも通ずるサラリーマンの永遠のテーマだ。これをさらっと描写できる著者に読者は心惹かれるのだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?