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『MIZZ鍼灸治療院物語』の著者 MIZZ先生こと”みずかみよしのり”が 渋谷道玄坂百軒店伝説のロック喫茶『ブラックホーク』を語り尽くします

◆第2シリーズ 
ザ・インタビュー:MIZZマスターの『ブラックホーク』懐古談
(聞き手:編集人ひめちゃん)


レコード室の松平氏はまるで千手観音が如き動きをする
初来店と思われる青年のリクエストや質問に答えながら 右手左手両手使いで 指先はレコード棚をササッスーッと這って 青年の言が終わらぬうちに「これですね はい!」とアルバムを差し出す

第10話 松平さんとの思い出❐その6

【このイラストで取り上げたアルバム紹介】

●『Live at the L.A. Troubadour』 1977年
英国を代表するフォーク・ロック(こういう言われ方を松平氏は嫌っていました)の代表的なグループである「フェアポート・コンヴェンション Fairport Convention」のライブ盤

 言わずと知れたフェアポート・コンヴェンションのフルハウス時代のライヴ。アイランド・レコードは彼らとの契約切れで発売したのでしょうが,内容はやはり彼らのピークがこの当時(1970年)にあったことを確認させるものです。
 リチャード・トンプソン(ギター),デイブ・スウォーブリック(フィドル)と揃うと,そのインストゥルメンタルなせめぎ合いは凄く,ドラムスのデイブ・マタックスがさらにそれを煽り立てます。その光景は修羅場と言うにふさわしく,一瞬も目が離せないボクシング試合を見る気分です。それを好まない人がいるにせよ,こんな演奏ができたのは当時の彼らだけでしょう。『ブラックホーク』で最もリクエストを受けた1枚です。
(松平氏による「ブックホーク・コレクションレポート」より)

《MIZZマスター》松平氏は「スタジオ録音のフルハウス同様,彼らのトップアルバムだと思います」と静かに語っていました。彼は,このアルバムをターンテーブルに乗せ,しばしゆらりと曲調に身を任せていたかと思うと,名曲『Sloth』が始まるやかの独占スペースレコード室内で,ある時はR・トンプソンに,ある時はD・スウォーブリック,そしてある時にはD・マトックスに変身し,己の腿をタッタッタンとリズミカルに叩いていましたよ。そして曲が終わるや,「ロックミュージシャンは,みんなこれくらい完成度の高いライブ盤だといいんですけどね」とポツリと呟いていました。

●『Please to See the King』1971年
 「スティーライ・スパン Steeleye Span」の2作目

 スティーライ・スパンは,元フェアポート・コンヴェンションのアシュリー・ハッチングスを中心に結成されたフォークロック・バンドですが,このグループはイングランドとアイルランドの混成バンドと言うことが原因なのか,常にメンバーの離合集散が繰り返されました。
 1970年初めは,決まり文句で言えば“カリフォルニアの青い空”,ジャクソン・ブラウンに代表されるウェストコースト・サウンドが大きなうねりとなって『ブラックホーク』を訪れる若者たちを包み込んでいました。イギリスでは,ハードロックとプログレッシヴ・ロック全盛でしたが,当然ながら『ブラックホーク』ではこれらの音楽を聴くことはできませんでした。そんな中,イギリスの有名フォークロック・バンドフェアポート・コンヴェンションと,ペンタングル(Pentangle)の二組のサウンドは,ブリティッシュ・フォーク中でも 異彩を放っていましたが,彼らは伝承音楽を土台にしている,ならばその原型を演じるミュージシャンもいるはずだ,突き止めようと,松平氏は伝承音楽(トラディショナル・フォーク)をフォローすることに目を向けました。

《MIZZマスター》当時の松平氏には,“伝統的英国スタイル”に対する憧れがあったようで,映画やテレビなどで「シャーロックホームズスタイル」としてよく目にする,ヘリンボーンのジャケットに帽子,パンツも夏以外はツイードといった装いを愛用していた記憶があります。当然,Tシャツやジーンズなどは絶対着ません。
 そんな時節に,スティーライ・スパンのアルバムの登場です。松平氏が,このアルバムをヤマハ渋谷店で購入して店内に戻ってきた時,「これこそが自分の探していたトラッドです!」とやや興奮気味に緊張感のあるトーンで私にアルバムを差し出したのです。そこからです,彼のトラッド・ジャーニーが始まったのは…。

●『Swarbrick』1976年
ブリティッシュ・トラッドを強く印象づけたデイブ・スウォーブリック(1941~2016)の名作

 トラディショナリスト(=伝統主義者)としてスウォーブリックは「歌を歌う自分」を認めていません。だからこのアルバムでは歌わないのです。しかし,ここには喜びと生命力に輝く音楽があります。彼のフィドルは,エレキではなくアコースティックです。ダンス・チューンやマーチはもちろん,本来“歌”である曲でも,見事な完成度でスウォーブリックのフィドルは“歌って”“踊って”います。このように生きている音楽は,スウォーブリックの名やトラッドを知らない人にさえ何かの働きかけを持つでしょう。ラスト曲『Arthur McBride』は,かつてトラッド最強コンビと言われたマーティン・カーシー&スウォーブリックデュオのレパートリーを再現したメモリアルトラックです。
(1977年松平氏による「ブラックホークコレクションレポート」から)

《MIZZマスター》フィドルは基本的にバイオリンと同じものです。アイリッシュや北欧の民族音楽)や,アメリカのカントリーミュージックなど,クラシック音楽以外のジャンルで使われるバイオリンのことをフィドルと呼ぶ傾向があるようですね。
アイルランドの街の人々はこんなことを言うんだそうです。「フィドルは“踊る” バイオリンは“歌う”」と。

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