日記 虚無さえ活用するということ。神秘的態度とは虚無さえ。そして神"と"
・詩的ですらないものを求めている。もはや散文か、と認知可能な程度の
・なぜなら、聖なるもの、を追求しているわけであるからして
・聖なるものは、パウル・ティリッヒの述べたように、たとえばそのカタチは空虚であり、内実も無意味なのである
・だが、そこにしか神は訪れない(と、思われる、わたしには、経験的に)
・この世界(宇宙)の恒常的な外側は、神、であろう(少なくとも神学的には)
・神に向かう道(エペクタシス)
・それは、無意味の追求であり、聖なる空の生成
・だが、聖なる空とは、やはり、虚無、であろう(フィリップKデイックの出会ったように、あの完全なる虚無)
・そして、すべての生活動が、虚無、である、とサルトル的なところに行き着いたときに、サルトルの嘔吐は井筒俊彦の嘔吐になる
・虚無僧にしか神は訪れない(釈迦は最高の虚無僧だったろう)
・この世界にまだないもの。それを与えるところのもの。神
・わたしは求めている。ゆえに、求めない
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