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【NOVEL】ある男の人生 第10話(最終話)

 男は、自社の軌道を操るまでの役職に成り得た存在だったが、自ら拒否した。他薦において男の名が最も挙がっていたが、現場では、彼が行う活動に恩恵を授かろうとする者が拡大しつつあった。彼は、大病をきっかけに仕事を自ら抑制している上、そうしたハイエナを追い払う体力は残っていなかった。
 周囲の期待は、彼の器からこぼれてしまっており、彼の身代が知らぬうちに巨額になっていた。男は躊躇してしまったのだ。
 長女である娘は、やや晩婚であったが、無事に嫁入りした。娘の彼氏が、結婚の挨拶に来た際、男は世間の父親とは正反対の態度を取った。馴れ初めの経緯を一切抜きにして、男は相手に対して「信頼してます」とだけ言い、二人の結婚を許諾した。その時、男は父としての大きな役割を一つ失った。 
 一方で、問題に直面しつつあるのは、息子の方である。息子は長男ではあるが二番目の子供だったので、男は息子に対して、長男的道義の厳しい躾をしていた。一方で彼の妻は、二人目の子供に対する愛着と異性の子供に対する遠慮からか、母親らしい強い主張をせず溺愛してしまったのである。当然、両輪は上手く噛み合わず、やがて息子の性格は思慮の無い乱暴な性格になっていき、生活は堕落していった。男の目を盗んで贅沢な生活をやりだした。息子は、箪笥の底に穴を開けるかのように、親のいない隙をついては小金をくすねるのだった。男と息子との間には、もはや修復出来ない程の溝が生じており、これは娘との度合いよりもひどかった。息子と雖も、他人の金に手を出すことに対する憤怒、躾を無下にしている憎悪、そして何より、それだけの若さを持っておきながら、人生を浪費していておきながら、巷で威張り散らしている哀れさ、暴挙。
 男に不幸は重なった。以前から追従させていた部下が、会社の存続にかかわるほどの失体を起こし、その説明責任を世間から問われ始めたのである。二人は、幹部が集まる会議室へと出頭すると、その手落ちについて厳しく追求された。男は、部下を懸命にかばった。部下は、どうして男が自分のためにここまで侮辱され虐げられているのか、不思議にすら思った。部下は男に感服するのだった。幹部達を前にして男は叫ぶように「それでも、こいつは優秀な部下なのです」と言い放った。
 結局、これまでの功績に免じて、ある程度の身分は許容された形で、男は処分された。だが、閑職に左遷された男を待っていたのは、お人好しの死んだ人間のような風評だった。
 ある日のことである。仕事から帰宅した男は、放埓な青年どもを家の中に連れ込んで、やりたい放題やっている息子を見出した。男にとって、彼らがそうした振る舞いをするのには、大いに時宜が悪く、加えて、男の愛車の鍵が寝椅子に投げ捨てられていた。
 男は我を忘れて、息子を猛烈に殴りつけた。息子はその反動で、まるで演劇のように三回転四回転と横転を繰り返し、庭へ身が放り出された。男は、息子に馬乗りになりさらに追従し、息子は死者のようにぶっ倒れてしまった。居合わせる青年達も、流石に不味いと思い、酒瓶を置き、四人がかりで男を止めた。男が発した言葉は、この上ない辛辣なものだった。
「この生きた死骸を連れて、出ていきなさい」
 その時、男は父としての役割を放棄した。その日の夜、男は就寝する前に愛読していた本の一節をさっと読んだ。

『真実を求めること。自分で知っていると自信のあることだけを語り、そのほかのことについては沈黙を守ること。誠実に意見を述べ、誇張した言葉を避けること。純粋なもの、深いもの、真正なものに向かうこと。真実を見出した後に、これを発表する必要が生じたときは、君の内面の真理に最もふさわしい仕方で発表すること』

 最後の数語によって、男はこれまでの自分の人生を手記にしてやろうと誓い、この一節の写本を手元において、これまでの生活全体を追想して寝入るのだった。

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 老女は、終日、歩き通して夕方になると、慣れ親しんだ小高い丘で足を止めた。その先にある木の下で屈んでいた老夫婦は、彼女を見てすっと立ち上がった。夏の炎日の落ち際に夕焼雲がかかる頃、三人を囲む灌木は、西日に照らされた。丘から見える切妻屋根の数々と、ずっと向こうにある青い海を遠望した。
 もしかすると、男は平安を見出したのかもしれない。晩年、彼は極めて柔軟な心を持った人物であり、猛々しい男性的なところがあまり無かった。自分の義務を履行さえすれば、弱った身体に従うのも悪くはないと考えるようになっていた。樹木葬を選んだのは彼自身だった。皆が彼に驚いたのは、自分の生命の灯の陰りが、まるで知っていたかのように準備していたことである。老い先、それに伴い不幸とせず、彼は溶解されて骨になっても、有用な人物になったのだ。
 仕事から身を引いた男は、全身迷いに満たされた時期もあった。今後、どうすれば人々に役立つのか、日々考えたこともあった。自分の生き方をどうして良いのか戸惑ってばかりで、周囲の年配者が、どうして笑顔で楽しんでいるのか理解に苦しんだ。自分がこれまでやってきた以上のことが、もはや出来ないと言って悲観していた。裏を返せば、世間へ献身した証左でもある。おそらく、彼が抱えることの出来る能力の何倍も何十倍も余分に労働へ時間を捧げていた。
 彼は、あらゆる慢性的な疾患を患い、最期は老衰なのか病によるものなのか、あるいはその両方なのか判別し難いものだった。「病は老人の友」と言い放ち、何の治療も一切受けずに、自然に体が病魔に蝕まれるのを楽しむかのように、それはまるで俗世を遁れ去るかのようだった。彼は、福祉を大いに嫌った。年配者は、人間やその情欲、人生の条件を認識したものであるべきであって、もしそうであるならば、簡素のまま社会の利益にならずに、自然に提供しなければならないと。それは、彼が周囲に見せた数少ない頑固さだった。
 三人は手を合わせ参拝を終えると、老人は言った。
「こうして友を前にして言うが、僕の人生の転換期には、いつも君がいたような気がする。そんな君が逝ってしまったわけだから、もはや僕の人生も終末的だろう。人生は短く、本当に不思議なものさ。
 僕は、君の生き方を本当に尊敬し、見習いたいといつも思っていた。実のところ、忍耐強く社会で闘う人間をとても羨ましく思っていて、それと同時に悔しかった。本音を言えば、恰も世間を自在に渡り歩いているように見せていたのは、ある種の矜持がそうさせていたと言える…」
 彼は、男から預かっていた手記を墓標に置いた。その背中を見ていた二人の老女には、幾らか寂しく映った。
 すると、老人は振り返り、二人の目を見てこう言った。
「なぁ、明日は葡萄園に行ってみないか。収穫の体験が出来るらしい」
 
 …その言葉に二人は安心した。

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

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