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『1+1=1』タルコフスキーの『ノスタルジア』が放つ救済のためのメッセージ

『ノスタルジア・4K修復版』アンドレイ・タルコフスキー

この映画も『ミツバチのささやき』と同じく、初めて観たのは80年代に放送された深夜テレビだったっけ。最初観た時は何だか良く分からなかったのだが、なんというか、この質感というか空気感というか、とにかく映像から発せられる『ただならぬ』雰囲気に何故かハマってしまい、ビデオに録っていたこともあって、そのあと何度か観返しているうちにすっかりこの映画のファンになってしまったのだ。ストーリー自体は、実はあんまり良く分からなかったのだが(笑)、全てのシーンの構図や色彩があまりに見事なので、『動くアート』『動く写真集』みたいな感じで観ていたように思う。のちに出たDVDも買ってそれから何度も観た。真夜中にひとりボヤーっと観るのが気持ち良かったのだ。それは例えて言うなら夢、もしくはあったのかなかったのかわからないような追憶の幻のような、そんな時間だったような気もする(酔っぱらって観ていただけという説もあり)。

で、その『ノスタルジア』が4K修復版として蘇り、なんと映画館で観れるということである。おおおっ、これはもちろん観に行かなアカンやつである。ついにあの『ノスタルジア』が映画館で観れるのか。

というわけで、早速梅田スカイビルにあるシネ・リーブルまで『ノスタルジア』の4K修復版を観に行ってきました。なんせ家で観ていてもあれだけの映像美である。修復されたやつを映画館で観たら一体どのようなことになるのだろうか。期待を高めつつ、いざ!

~2時間経過~

はい参りました。
いや、凄いな、やっぱり。
冒頭タイトルバックのショット一発でもう体中に鳥肌である。良く考えたら『誰やねん、君ら』というショットなのだが、なんかもうとにかく画力が凄い。そのあとも教会での祭壇シーン、聖母から鳥シーン、ホテルの部屋シーンなどの神シーンが続き、やはり極めつけは狂人ドメニコの家のシーンだろうか。屋内なのにそこかしこからしたたる水、廃墟のような洞窟のような色彩。画面から滲み出てくるような腐敗と退廃のイメージ。いやもう息を呑むほどの爛れた美しさである。

そして物語の後半、廃墟の病院の中で唐突に現れるアンジェラという名の少女。おそらくはこの世のものではない。主人公のアンドレイは問いかける。『満足かい?』『何に?』『人生に』。そして少女は答える『人生には、満足よ』と。アンドレイは『それは、いいことだ』とつぶやく。しかしアンドレイはその時すでに病に冒されているのだ。

あと、ドメニコが世界を救済しようとローマで演説をしているシーン、そしてそこで『第九』が流れるシーンはやっぱり衝撃的だった。1度、2度、3度目で火が点く。あれは世界が叩き潰される音である。世界が分断される音である。

そしてアンドレイは蝋燭の火を消さないように温泉を渡る。世界を救済するために。火は2度消える。しかし3度目には・・・。

家で観ているときは途中でついうっかり寝てしまうことも多かったのだが(おい)、やはり映画館の大画面で観ると、映像から発する緊張感がもの凄く、ガッツリ最後まで観れた。以前は良くわからなかったストーリーも、今回やっと掴めてきたような気がする。

この映画の中の登場人物がこちらをじっと見つめるシーンが何度かあるのだが、それはまるで観客に向かって何かを問いかけているようでもある。君は、いや世界はそれでいいのかと。

ドメニコは言う。一滴の水にもう一滴の水を足しても一滴である。『1+1=1』なのだ。この世界の境界をなくさなければいけない。水のように。

やはり映画は映画館で観るに限る。最近は昔の映画を4Kレストアして映画館で観せるという商法(?)がどんどん出てきているが、実に嬉しい限りである。長年の悲願だった『ミツバチのささやき』『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』も映画館で観れたし、そうだな、あとはフェリーニの『甘い生活』と『サテリコン』あたりが観たいかな。どっかでやってくれねえかな。出来ればこちらの生きてるうちに。

#ノスタルジア
#アンドレイタルコフスキー

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