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ブルージャイアント

オモコロウォッチというラジオで紹介されてて気になっていたけど原作読んでないしな〜と渋ってたらアマプラで公開されてた。

ラジオで聴いて衝撃だったのは雪祈の事故のシーン。勝手になぜか雪祈が主人公だと勘違いしていたから、主人公に対して作者えげつないことするな、でも現実って主人公とか関係ないもんな、と妙に感動してた。

でも実際は大が主人公で雪祈は一応サブで。サブキャラで挫折を描いて現実の非情さを描きつつ、主人公にその想いを託して主人公自身は成功することで読者の期待も満たせる欲張り予定調和セットじゃないですか!雪祈の右手が浮かばれないよ!と納得のいかなさがあった。

事故に遭うのが雪祈である意味
お風呂に入ってシャンプーで頭洗ってる時にふと大と電車の中で言い合うシーンを思い出して、腑に落ちた。勝ちにこだわる理由として、音楽ができる場所を勝ち取らないといけないと喋ってたけど、雪祈は音楽をする特権階級に対するアンチテーゼ的な存在なのか、と。
顔がかっこよくてピアノ4歳からやってて自信満々、頭も刈り上げでレペゼン東京のボンボンと思わせといて地方出身、ボロアパートと夜間バイトのリアル。夢の舞台の直前の日までシフト入れないといけないぐらいのカツカツぶり。
家庭の事情で音楽を諦めざる得なくなった幼馴染の存在も背負って壁乗り越えてやっと辿り着いた夢を阻むのがバイト中の事故。そういうことか。だから雪祈か。
アンコールで雪祈が弾くのは原作から大きく変わったらしいので賛否あるだろうけど、個人的には事故それ自体が意味あるものだから物語の重みは変わらない気がする。
大は、俺は世界一だ!なぜならば俺は世界一だから!みたいな、ある種不気味な理屈のなさを持ってるから(ルフィっぽい)
映画を観た限りだと感情移入はしにくい、というかあえて第三者目線での描写に留めている感じがするけど、雪祈はスマートにこなしてると思いきや泥臭い葛藤が見えたりするのでぐっと親近感が湧く。そしてその分、事故の衝撃に打ちのめされる。残酷。すごい。

個人的な体験で言うと、高校の吹奏楽の世界では私立の方が比較的強かったのを思い出す。理由は単純に良い楽器を買えるから。
うちの高校は保護者やOBの寄付のおかげで新しい楽器を買い揃えられたけど、あれは特権だったと思う。子供の部活動にお金をかけられる家庭は多くない。
音楽とか芸術の分野ではこういうことが多い。持つ者が持つ者のためにプレイをするのでは雪祈が言うようにいつかジャンルが死ぬんだろう。特権や教養関係なく貫通するような面白さや熱が必要で、大の青さを覚えておこうと思った。

ちなみに映画観た直後は曲の良さについてにしか考えられなかった。FIRST NOTE良すぎ。
あと玉田の初めての本番。
文化祭の友達が歌うステージで緊張して伴奏が止まった時とか小学校の大縄練習でいつまでも入れなかった時を思い出して悲鳴出た。玉田が認められることで、過去の自分が少し成仏できた気がする。

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