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カナリヤイエローと酔っ払い

ある夏の夜の話をしよう。

もう20年以上昔。

中央線の沿線で飲み会があり、解散して家路に就いた。

当時、京王線の東府中に住んでいた私は、同席した女の子と立川まで一緒になった。

立川に住んでいる女の子は、座るなり爆睡。

立川で南武線に乗り換える私は、二重の意味で眠れず、必死に意識を保っていた。

電車は立川に到着。

爆睡女子を必死に起こして車外へ。

改札まで送るつもりだったが、あまりにフラフラだったので、駅を出るまで付き添う。
ロマンスは何も生まれず、「家族に連絡したから大丈夫〜」と言って立ち去って行く千鳥足の後ろ姿を見送った。

さて、帰らねば。

明日はバイトだ。

9時からだけど、8:40には出勤して仕込みをしないといけない(今思えばブラックではないか)。

南武線のホームには、カナリヤイエローの103系が乗客を乗せるべく待っている。

川崎行きの車内は、深夜帯ということもありそれほど混んでいない。

立川から京王線との乗り換え駅である分倍河原(ぶばいがわら)までは4駅(当時)。時間にして15分程度。何の問題もない。はずだった。

座席に就く。

今まで泥酔女子と一緒だったから自覚が薄れていたが、自分もそれなりの酔っ払いだった。

自分がかなりの酔っ払いであることを自覚するより早く、中央線で頑張って起きていた代償を払うかのように、深い眠りに落ちてしまった。

ガタンゴトン

嫌な予感がした。

ハッと目を覚ます。

まずい、かなりしっかり眠ってしまった。

ここは、どこだ?

20年前の103系には、ドアの上のデジタル表示などなかった。ここが、次の駅がどこだかわからない。
車掌の車内放送も聞き取れない。

電車がホームに滑り込む。

電車が止まる前に必死に駅名標を読む。

向河原

ムコウガワラ?どこだ?

降りるべきは向じゃない、分倍だ。
河原違いだ。

とにかく乗り過ごしたことだけは間違いない。
降りなければ。

ホームに降り立った瞬間、視界に電車の側面にある行先表示が写る。

ん?文字数多い?
川崎行きじゃない?

顔を上げるとホームの番線表示。

そこには「立川方面」の文字…

酔っ払ってボヤけていた頭が一気にフル回転し、次の瞬間には今降りた電車に飛び乗っていた。

扉が閉まる。

酔いが一気に覚める。まさか…

車掌が車内放送で言う。

「この電車は武蔵中原行きです」

ムサシナカハラ?

必死に路線図を辿る。

向河原を出た武蔵中原行きは、川崎から立川方面に走っている。

そう、立川から川崎行きに乗った酔っ払いの私は、終点川崎まで乗り過ごした上に電車と一緒に折り返したのだ。

しかし、武蔵中原止まりでは、分倍河原までは遠く及ばない。

それは、わかった。

で、どうする?

答えの見つからないまま、電車は終点武蔵中原に到着。

カナリヤイエローは乗客をホームに吐き出して車庫へと消えていった。

途方に暮れそうになった。

しかし、見回すとホームには乗客が多数残っている。

まだ電車があったのだ。

希望にも見える次のカナリヤイエローが滑り込んで来る。

登戸行きの。

登戸…

聞いたことはある。

とにかく、少しでも鉄路で家に近づくしかない。
乗り込んだ。

落ち着かない。
座るなどもってのほか。
一体どうすればいいのか…

何も解決策はないまま、電車は登戸に到着。

乗客を吐き出すカナリヤイエロー。

ホームには「本日の運転は全て終了いたしました」のアナウンスが虚しく響く。

明日はバイトだ。
朝の仕込みは一人ゆえ、急には休めない(ブラックだな)。
休めたとしても、それはそのまま収入減になる。

背に腹はかえられぬ。
致し方なくタクシーを拾った。

財布を見る。
背に腹はかえられないが、突如財布の中身が増えるわけもない。

東府中に向かうタクシーのメーターが、律儀にその金額を上げていく。

冷汗が背中を走る。

まずい、そろそろ財布がギブアップだ。

「運転手さん、ごめんなさい!この辺で止めてください!」

運転手は驚いた。
「ここでいいの?まだ遠いよ?」

いや、いいんです。
お金ないんで…って言ったかな?さすがに言ってないかな。

料金を払って降りる。

財布はずいぶんと軽くなり、タクシーは走り去った。

周囲を見る。
どうやら稲城長沼あたりらしい。

もう、考え得る手段は一つしかない。

歩こう。

20年前の私の手に、スマホはない。
頼るは己の勘である。

タクシーを追うように歩を進めると、道路の案内表示に「府中」の文字。

道は間違えなかった(んだと思う)。

蒸し暑い夏の未明、汗だくで家に着いた時、まだ陽は昇っていなかった。

ちなみに、翌日のバイトはちゃんと行った。
自分で自分を褒めてあげたい。

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