見出し画像

下剋上球児から考える勝利論

下剋上球児が完結してだいぶ経つが、ザン高ロスはまだ癒えない。

10日かかって(サボりサボり書いたから時間かかっただけ)教師教育論の観点で(少しズレたかも)レビューを書いたけど↓

高校野球、あるいはスポーツを題材にしたドラマを語るには欠かせない勝利論…と勝手に名付けたが、勝つためのプロセスをどう考えるのかという観点で別のレビューを書いてみたい。

部長の山住と校長の丹羽に熱心に誘われながらなかなか野球部監督を引き受けない南雲は、かつて静岡第一高野球部主将として県予選決勝まで勝ち上がり、初の甲子園まであと1勝というところまで迫っていた。

そのことに気付いた山住は、ますます南雲の監督就任に熱を上げるのだが、南雲の思いは複雑だ。

南雲主将の静岡第一は、賀門監督の指揮の元、相手主力打者を敬遠して勝負を避けるという戦術で並み居る強豪を退けて決勝進出を果たす。
しかし、その戦術が野球ファンの批判を買い、学校に非難の電話が来たり、スタンドからヤジが飛んだり、街で危険な思いをしたりまでする事態に。
そして、南雲主将を筆頭にした選手たちは、賀門監督に「正々堂々と戦わせてほしい」と直訴。賀門監督もそれを受け入れ、決勝では敗れてしまう。そして、そのチームを引退して野球を続けたのは南雲だけ、その南雲も大学進学後にケガで野球も大学も辞めてしまっていた。

この「主力を敬遠」という戦術から思い起こすのは、否応なく1992年第74回夏の甲子園、「松井秀喜(星稜)5打席連続敬遠」だろう。
あの時も批判が殺到した。走者なしの場面も含めた全5打席を敬遠した戦術について、相手校の監督は「勝つために必要な戦術だった」と振り返ったが、それでもなお「勝利至上主義」「大人の都合に選手が振り回された」などの批判はなかなか収まらなかった。

ちなみに、南雲主将の静岡第一が県予選を主力打者敬遠策で決勝進出したのは、計算上は1997年になるかな?とすると、現実の松井秀喜敬遠の件より後ということになるが、まあそこはフィクションなので…

とにかく、このエピソードだけ見ると、下剋上球児は勝利至上主義に対する問題提起をするのかな、と思ってしまう。
しかし、そこまで単純ではなかった。

南雲が副部長という肩書で挑んだ2016大会、越山は同じく公立の多気高校と対戦する。
1年生エース・犬塚の好投でリードは1点ながら優位に試合を進める越山に対し、多気打線が取った作戦はバント責め。犬塚を守備で疲れさせ、勝機を見い出そうという戦術である。南雲はその戦術に苦々しく不満を漏らす監督の横田に対し、「勝ちたいのは相手も同じです」と一定の理解を示し、犬塚に対しバント処理をしなくていいと伝令を出す。
バント責めは切り抜けた越山だったが、その後多気高校に逆転2ランを許して敗退してしまった。
バント責めがどれほど効いていたのかはわからないが、「投手は全力で投げ、打者は全力で打つ」を“正々堂々”とするならば、少しモヤモヤする戦術ではある。まあ、そんなこと言ったら変化球はなんなんだということにもなるが。
とはいえ、なんとなく「勝つためにどういう戦術を取るか」を問わんとするドラマの姿勢は垣間見えた。

ところが、この後は戦術面でどうとかいう話はしばらく出てこない。
南雲の退職、出頭、捜査、と苦難の日々、その一方では越山野球部の苦闘と奮闘、そして切れない越山野球部と南雲の絆…
そもそも試合の場面が描かれないのだから仕方ない。

南雲の監督復帰を願いながら山住が監督に就任して迎えた2017大会。
山住との不穏な関係を仄めかして山住本人と選手たちを精神的に揺さぶる椎野擁する五十鈴との対戦。
この椎野の試合前の動きを「作戦」とするならば、それはルール違反ではないが、マナーとかデリカシーとかの視点で、言うなればスポーツマンシップに反する行為と言えるだろう。

戦術の視点で話が展開されるのは、南雲が監督としてベンチに入り、椿谷主将で挑んだ2018大会準々決勝。因縁の相手・星葉学園との対決。
越山1点リードの8回表星葉の攻撃、先頭の3番打者に右前安打を許して打席に4番・江戸川を迎えるところ。先発投手・根室に疲れも見え、敬遠策もあり得るところ。
南雲監督はタイムを取り、この日ベンチのエース・犬塚を伝令に出す。
南雲の脳裏に浮かぶのは、静岡第一の主将として監督の賀門に対峙し、「決勝は正々堂々戦わせてください!」と懇願したあの日の場面。
対戦相手の監督として見つめる賀門も、「南雲は敬遠しない。正々堂々だ」と、あの日を思い出すように呟く。

私をはじめ視聴者は、このやりとりで伏線が回収されたと思った。
静岡第一では正々堂々とやりきれないまま決勝に進み、正々堂々と戦った決勝で敗れた。でも心の奥では、監督だった賀門も、主将だった南雲も、正々堂々と戦い、勝ち切りたかった。
今それが成就したのだと。
正々堂々と勝負して勝つことこそ、スポーツの、高校野球の本質だと言いたかったのだと。

しかし、そんなに簡単ではなかった。

星葉を、代打・犬塚のサヨナラタイムリーで振り切った越山は、伊賀商業との決勝に挑む。
前年に大敗を喫した、こちらも因縁の相手である。
準決勝の守備で頭を強打したリードオフマン・久我原をラインナップから欠き、準決勝に続いて先発マウンドに上がった根室は明らかに疲れが残っている。それでも全員が決勝を楽しみ、五分五分の戦いを繰り広げる。
そして、二番手投手の阪が打たれて2点のリードを許しながらも、三番手でマウンドに上がったエース・犬塚が捕手・日沖の好判断もあって後続を断った7回裏終了後の越山ベンチ前。
8回表の攻撃を前に南雲が問いかけた言葉にこそ、ドラマ「下剋上球児」が伝えたいメッセージがあるのだ。

南雲)
みんなに相談がある。
こうなったら絶対勝ちたくなってきた。

中世古)
負ける気ないって言うてますやん。

南雲)
どんな手使ってもいいから。
姑息な手手でも、卑怯な手でも、連続敬遠だっていい。
どんな手使ってでも勝ちたくなってきた。

山住)
正々堂々やないんですね。

南雲)
スポーツマンシップに則ってない、そう言われるかもしれない。それでもいいか?

椿谷)
誰がそんなん言うんですか?
ルールに則ってれば、姑息もセコいもないです。

日沖)
どんな手やって作戦や。

久我原)
あいつら強いでぇ。

根室)
あるもん全部でやるしかないです。

犬塚)
残念とか弱小とか散々言われてきたじゃないですか。

楡)
何言われたってええ。

山住)
下剋上!
やってやりましょう!

円陣)
おぉ!

南雲)
すごいなお前ら…!

第10話(最終回)より

「勝利至上主義」とは違う、勝ちたい気持ちをどうプレーで表現するかということ。
静岡第一主将として「正々堂々」を求めた南雲が、監督として劣勢となりそうなチームに「脱・正々堂々」を呼びかける。
それに対する選手たちの言葉から、「正々堂々とは何か」の答えが垣間見えるかのようである。

「ルールに則っていれば姑息も卑怯もない」
それは勝つために必要な強さでもある。

ではなぜ、あの年の静岡第一は、賀門監督の主力を敬遠するという作戦を貫けなかったのか。静岡第一と越山の差はなんなのか。

それは、監督と選手の意思疎通の差なのだと思う。

監督の勝たせたいと選手の勝ちたいが同じ方向を向いて重なったなら、作戦の方向性も合致できる。

南雲は、劣勢になりそうな決勝の舞台でなお躍動する選手たちを見て、劣勢を跳ね返して勝たせたいあの年の賀門の思いに近付き、「どんな手を使ってでも勝つ」ことに舵を切れた。そして、それは何としても勝ちたい選手たちの思いを後押しした。

おそらくだが、あの年の賀門は、チームの戦力、特に投手力を踏まえて敬遠策を取ることを、ほぼ独断で決め、指示したのだろう。だからこそ、選手は批判の声に耐えられなかった。
もし賀門監督が選手とのコミュニケーションを密に取った上で、かつ選手の声も取り入れていれば同じ策を取っても変わったかもしれない。
そして、星葉学園を甲子園に導く手腕は、「選手が悔いなく戦えるよう全力で支える」という監督観は、この静岡第一での“失敗”が基礎になっているのではないか。

そういう意味では、賀門もまた「下剋上」をしたのであったと言えるだろう。

かくして越山は甲子園出場を果たす。

甲子園では初戦で柏国際(千葉…だろう)に0-11で完敗したスコアボードが映し出されるが、これは原案のモデル・白山高校が甲子園では愛工大名電に0-10で完敗したことに沿っている。
その試合シーンはドラマでは描かれなかったが。…なんとかなりませんか?

ところで、X(Twitter)の公式アカウントには、オフショットとして甲子園のスコアボードをバックに記念撮影する越山野球部の集合写真が載っている。

スコアボードを隅から隅までよく見てほしい。
このドラマのスタッフは粋なのだ。


「本日の試合」第4試合のカードは…



静岡第一 対 小倉北

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?