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下剋上球児で教師教育論

全私を感動の涙で濡らしたTBS日曜劇場「下剋上球児」が12月17日(日)の最終回で完結した。してしまった。

完全ザン高ロスの私にできるのは、全力で振り返ることだ。

しかし、この「下剋上球児」、単なる高校野球スポ根青春ドラマではない。

さすがは日曜劇場(めったに観ないのに)、社会的テーマを表に裏に散りばめている。

特に感じたのは、教師から考える教育論が散りばめられているということだ。

このドラマが描きたい“下剋上”は、底辺から這い上がっての大逆転である。

舞台となる越山高校は底辺と呼ばれる高校である。当然そこに通う生徒も底辺と扱われ、ほとんどの生徒が後ろ向きに入学し、学校生活を送る。そして学校を抱える地域も“お荷物”として扱っていき、ますます底辺へと堕ちていく。

その越山高校の生徒に正面から向き合い、底辺から救い出そうと孤軍奮闘するのが教師・南雲修司である。

その南雲が、実は教員免許不所持で偽造して不正に採用を受けたというのは皮肉といえば皮肉である。

教師に必要な素養は何か?それは「教員免許」という紙で本当に測り切れるのか?

もちろん、制度としての教員免許制度を否定するつもりは毛頭ない。

だが、作中では“ニセ教師”である南雲が我が身の先も顧みず生徒とぶつかり合うのに対し、“本物の”教師たちは及び腰の事なかれ体質に映る。

一方で、野球部部長の山住は、前任校とも言える高校で野球部員・椎野との関係に悩んで退職し、縁あって越山高校の教諭となっている。
その椎野は、越山と同じ三重の五十鈴高校に転校して対戦相手として山住と対峙する。いろいろと匂わせながら…

この山住ー椎野の関係は、南雲が新任教師として初めて対峙した問題生徒・越前との関係との対比でもある。

南雲はパパ活に染まる越前を救いたいと、「会うなら学校内で」という同僚の忠告を無視して街での救済を続け、最後には越前の心を入れ替えることに繋げる。
南雲は越前のパパ活を辞めさせるために、未成年と知りながら群がる男たちに喝を入れ続けた。(少なくともドラマの範囲では)越前本人を責めたり追い詰めたりせず、正しい人との付き合い方を、今のパパ活がいかに歪んでいるか示すことで伝え続けた。
その愚直な方法が取れたのは、これも皮肉だが、“ニセ教師”ゆえだった。
学校外で関わることが誤解されてクビになってもかまわないとはなかなか思い切れない。

一方の山住は、横浜の野球強豪校にいた際、「自殺を仄めかした」選手の悩みを学校外で聞く。その選手が椎野なわけだが、この場面の椎野の真意はわからない。というか、描ききっていないので、如何様にも想像できてしまう。
椎野が山住に異性として好意を抱いていて、懇意になりたくて二人きりの場面を作るために呼び出したという穿った見方もできなくはない。
ただ、シンプルに考えれば、野球選手としての悩みを監督やコーチには打ち明けづらく、先輩に頼る雰囲気でもなく、同級生にも言いづらい時、山住(立ち位置不明だが)なら聞いてくれるかもという一縷の望みで呼び出したというところか。
いずれにせよ、椎野は自分では認めきれない自分の努力を、誰かにわかって認めてほしかったのではないだろうか。
しかし、立ち去ろうとするのを引き留めてまで言葉を求めた山住にかけられた言葉は「頑張ろう!」だった…
山住にとっては励ましたつもりのこの言葉が、希望の淵のギリギリのところで踏みとどまっていた椎野を絶望に堕としてしまう。「頑張ってねぇっていうのかよ!」という叫びは痛みを伴う。

好意か信頼か、何にせよ裏切られたと感じた椎野は、その感情を恨みに換え、セクハラをでっち上げて(という真相だろう)山住に報復したのだ。

「学校の外で会うのはダメ」とはこういうことだ。

南雲ー越前の関係でも、何か一つ言動を誤って越前が恨みに思ったりつけ込まれたりしたら如何様にもでっち上げて窮地に陥すこともできたのだ。
そういう意味では、南雲のやり方は不正解だ。不正解だが意義はあった。でも不正解なのだ。

三重の野球強豪校・星葉学園監督の賀門もまた、教育について考えさせられるキャラクターである。

賀門は静岡一高時代の監督として選手・主将である南雲を指導した恩師である。
にもかかわらず、初出の賀門と南雲の関係はどこかぎこちない。
教え子との野球部監督同士としての再会を喜ぶ賀門に対して、南雲が何かやりづらそうにしているのだ。
静岡第一の戦績に関わる話はまた別の機会にするとして、この温度差を産むものとして考えられるとしたら、過去に体罰かパワハラがあったのではないかと邪推した。
そうでなくとも、賀門にはどこかいわくありげに感じたのだ。

結局、南雲が賀門と距離を置きたがったのは、教員免許偽造からくる後ろめたさと露見の脅威が原因であった。
直接的には「破門」いう強い表現で南雲を糾弾した賀門だった(賀門が破門)が、裏では教え子の不祥事に心を痛めつつも気にかけていることが窺える。

賀門に対して南雲の教員免許偽造を暴いた大学の後輩がすぐにでも表に出そうかと尋ねた際、賀門は「今はやめてやってくれ」と止める。
越山野球部副部長としてベンチに入る南雲と越山野球部の戦いが終わるまで待ってやってほしいというのは、南雲の行為が糾弾されるべきこととわかっていながらも今していることはやりきらせたいという“親心”といえる。

また、南雲が去った越山野球部を陰日向なくサポートもしている。
“ニセ教師”問題で揺れるチームが、野球に集中できる環境を作りたい。それは野球人としてのサポートであると同時に、教え子の失態を補いたいという思いもあったのではないだろうか。

では、なぜ「破門」という強い言葉を使ってまで南雲を突き放したのか。
賀門自身の保身という側面は否定できないが、それ以上に謝罪や贖罪を安易に自分に向けてくれるなという思いだったに違いない。
だからこそ、越山野球部監督としてグラウンドに戻った南雲には、直接対決となった準決勝の後、「破門」という言葉を忘れさせるほどの慈愛で受け入れ、励ますのである。

賀門の人となりを示す台詞が二つある。

越山監督問題で悩む山住との会話

山住)
野球未経験者でも、野球部の監督はできますか?
勝たせることはできますか?
知識も経験も豊富じゃないと采配は…


賀門)
采配だけで勝ってきたわけじゃねぇ。
選手が悔いなく戦えるよう全力で支えること。
それが監督の第一の仕事だ。

第6話より

そして、2018年三重大会準決勝、越山vs星葉の対決の際、星葉スタンドからの心ないヤジ(星葉もガラ悪いよね)で荒れるスタンドに向かって放った呼びかけ。

いつも応援してくれてありがたい!感謝してます!

グラウンドに出る者、ベンチに控える者、応援する者、みんな真剣です!
どうか、大人として、失望させないでいただきたい!

第9話より

賀門の教育者としての強い思いを感じる名台詞と言えるのではないだろうか。

それにしても、ヤジを収めるにあたって日頃の感謝から始めるなんて、なかなかできない。
賀門の人格者ぶりが見て取れる(し、松平健さんがハマっていた)。

しかし、「下剋上球児」が描きたかった一番の視点は、越山野球部元監督の横田が、南雲の監督再就任を渋る丹羽校長と犬塚氏に語った台詞に詰まっている。
いつもの調子で南雲を糾弾する犬塚、生徒と地域に出る影響を懸念しているという丹羽、その二人に向かって言った横田の熱弁である。

横田)
失敗した人間の背中、いつまでも蹴り続けて、楽しいですか?

犬塚)
楽しくないよ!

横田)
そんなら、今すぐやめてください!
あんたらは、いっぺんも失敗したことないていうんですか?
私なんかもうずっと失敗。失敗して失敗して、失敗重ねて、今があるんとちゃいますか?
南雲先生...南雲修司は、自分の背中、子どもらに見せようとしてます。
みっともない、情けない背中です。
それ蹴飛ばして、何が教育者や!何が地域貢献、犬塚開発や!
生徒や地域に影響が出る、そんなん、出た時考えたらええでしょ!校長!

第7話より

ネットでは、南雲の無免許教員問題は余計だという批判もあった。
しかし、この「失敗した人間の背中を蹴り続ける」昨今の風潮に対する問題定義をするには必要だったのだ。

生徒も(少なくとも本人は)失敗している(と感じている)。
山住も失敗して躓いている。
南雲も大きな失敗でいったんは得た地位を失っている。
それでも、それぞれがその失敗を抱え、背負いながら前へ進んでいく。進まねばならない。

失敗に後ろ向きになっても、何かのきっかけで前を向いて進めばいい。

その時その背中にするべきは、蹴飛ばすことではなく、後押しすることのはずである。

自分自身、ゴシップに触れると、その渦中の「失敗した人」を蹴り続けてしまいそうになる。
しかし、どんな失敗をした人にも、然るべき手順を踏んで、然るべき時機を迎えたら、やり直すチャンスは与えられるべきである。

そして、その失敗から這い上がって前を向くことこそ、人生の「下剋上」なのではないだろうか。

教師は、教育に携わる者は、失敗を成功に導く姿勢、失敗した者の背中を押す手を伸ばす勇気を、常にもつべきなのである。

発明王・エジソンは「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」と語った。
大きく言えば、人生だって同じだ。
失敗しても続く分、人生こそ、失敗を引きずってはいられない。

我々「ザン高ファン」は、登場人物の様々な失敗からの前進=下剋上を見届けながら、越山野球部の活躍に心躍らせていたのである。

ちなみに、中森明菜は「私は泣いたことがない」と歌った。
本文とは関係ない。

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