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無の境地

砂浜に座り、波の音に身も心も委ねる。
遠くに船の汽笛、すぐ上に海鳥の鳴く声を聴きながら、静かに目を閉じる。
瞼の作る暗闇に身も心も委ねると、自らを取り巻く音がだんだんと遠ざかり、次第に心の雑音までもが…

あ〜、ダメだ。
消えない。
雑音消えない。
雑音の前に周りの音も遠ざかってない。

さっきのカップルまだイチャイチャしてるし、あ〜、あの鳶はあのフライドチキンかなんか狙ってるな…

いかんいかん、無だよ、無。

海はダメだ、山だ。

頂上に着く。
汗を冷やす山の風が心地よい。
少しだけ早い自らの心臓の鼓動がリズミカルに響く。
遠い街並みを目に焼き付けながら静かに目を閉じれば、山の風と心臓の鼓動とが溶け合って混じり合い、頭の中は空っぽに…

あ〜、ならない。空っぽになんない。
やべぇ、脱水だ。空っぽなのは身体の水分だわ。早く水分摂らなきゃ。
え、あのオジさん、すげえ涼しい顔して登頂してる。強者だわあー…

いかんいかんいかん、無になりたいんじゃないのか。無だよ。

海も山もダメだ。

風呂に浸かろう。
しっかりと汚れも憂さも洗い落とした身体を湯船に誘う。
湯船の湯の波紋が落ち着いたのを見計らって目を閉じる。
呼吸はゆっくり。
心の中の揺れが収まるのを感じながら少しずつ…

ゴボッ!
あぶない、溺れるところだった。
無になる前に寝てしまった。

とまあ、これは例え話だけども、とにかく私は“無”になれない。

いつも何かが頭の中をグルグルと渦巻いていて、それをすっかり追いやることができない。

目の前の一点に集中しようとしても、どうしても別の、場合によっては全く関係のない事柄に気が向いてしまうのだ。

苦手というレベルではなく、無理。

座禅したらすぐに、さらには何度も警策(“けいさく”、または“きょうさく”)で叩かれてしまうだろう。

私が剣道で大成しなかった理由の一つでもあるに違いない。

人と会話をしていても、会話とは違う事柄、ひどい時には会話している相手と全く関係ない事柄に思い巡らすことさえある。

無になること、目の前の一点に意識を集中させることができない。

で、皆さんはどうなんですか?

無になれます?

一点集中できます?

なれる、できるの方、ぜひその秘訣を教えてください。
実践できる自信はありませんけど。

そして、先日知った。
妻もそんなタイプだと。

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