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今年のダージャレ・ヌーヴォーは?

シャープさん(https://twitter.com/SHARP_JP)が書いた記事を読んだ。

で、これを読んで一番に浮かんだのは、この本である。

端折ってななめ読みした(一度はがっつり正座して読んでいる)のでいい加減なことを言うかもしれないが、会話の本質は自分にも相手にも関係ないようでいて、かつ共通項になりうる話題にあると書いてある(はず)。

そして、人と人が相対して会話をしている際、その会話を豊かにするのは知識であるとも書いてある(はず)。

これ、すなわちダジャレのことに他ならない。

ダジャレは感じで駄洒落と書くくらいどうでもいい洒落ということだが、聞いた相手が納得するには自分と相手で何が共通認識できているもので、どう伝えればそれがダジャレであるかが伝わり、どうやったらいい落としどころを付けられるかをきちんと把握できていないといいダジャレは生み出せない。
いいダジャレって、なんだろうね。

対面での会話に最も重要なのは、とっかかりとなる話題でもなく、熱い議論でもなく、両者が納得する結論でもなく、会話が続くようにするためのいわば潤滑油だと思う。
「会って、話すこと。」を読む限り、そう受け取っている。

ダジャレは、最も共通項になりやすい潤滑油なのではないか。

ところで、「対面の会話」なんて本来はおかしな日本語である。

会話するなら対面しているに決まっているではないか。本来なら。

それがコロナ下での「リモート○○」で変わってしまった。

対面しなくても会話ができると錯覚し得る社会に、あるいは世界になってしまった。

リモートアクセスが進歩したおかげで、従来なら関われない人同士が関わり合いをもって、そこから何かが化学反応を起こすように生まれるのは面白いし、否定する余地がないが、リモートでの対面にはあまり潤滑油は必要とされないようだ。

そもそも潤滑油が必要なのは、対面で話していると時に距離が近づきすぎたり、真正面でぶつかり過ぎたりして不必要な衝突が生まれかねないからだ。

その際に、ダジャレなどで間を作って適度な距離感を取り戻すことができるのだ。

しかし、リモートではそれも必要ない。
…のかもしれないね。知らんけど。

なんで知らんかっていうと、リモート〇〇やったことあんまりなくて。

リモート飲み会を推奨する人もいたけど、あんなのリモート〇〇の中でも一番避けたいよね。酒だけに。

飲み会なんて、飲み屋でやるから意味があるんであって、参加者それぞれが家飲みしているのを画面越しで見合って何が飲み会だと思う。

だいたい部屋が散らかっているんだ、こちとら。

それに、家にいるのに家のことやらないで画面見つめて飲んでるって、落ち着かないよね。
「火事場のくそ力」じゃなくて、「家事せずくそ野郎」になっちゃうよ。

だんだんダジャレと関係なくなってきちゃったけど、シャープさんの言うように、ダジャレはウザさをまといつつ、どこか好ましい物なのだ。

それが発揮できる場がない社会は、なんだか無味乾燥な感じもする。

ダジャレのような潤滑油が必要な距離感が、改めて心地よいと感じられる今だから、会って話すことを大事にしたい。

そしてダジャレをかまして笑い合う時間を楽しみたい。

そんな私と会って話してくれる人はダジャレ?じゃなかった、誰じゃ?

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