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Black Treasure Box 2・再掲

樹奈にしても私を押し留めようがなかった。
自分でも何とかして制止して欲しいと懇願していたくせに、心の奥底からの衝動に突き動かされた私には、言葉での説得など通じない。
理屈にならないことをまくしたて、私がこんなことになったのは樹奈のせいではないかと罵倒さえした。
一刻も早くT駅へ向かいたかった。
恥ずかしい格好を人々にさらすためにだ。
そのために年来の親友に暴力的な手段も辞さないつもりだった。

樹奈にしても、どんどん目の色を変えていく私を見て、それ以上は無理だと判断したようだ。
どうしてもとなれば、縄でしばりつけるくらいは必要だっただろうが、そんな用意はしていなかったし、そうでなくても自分や私の身体をひどく傷付けかねなかった。
「確認しておくよ。BTBアプリのために実行したことについて、それを目撃した人たちの記憶には残らない、それは確かなんだね」
「これまでのふたつについては、そうだったはず」
なぜそうなるのか、もちろんそんなことは分からないけれど。

📱

樹奈にBTBアプリの噂を聞いた翌朝のことだった。
前夜はバーを出たあとも私のマンションに場所を移して飲み直したのだったが、起きてみれば手書きのメモを残して樹奈の姿はなかった。

【例のBTBについて耳よりな話あり。ごめん。M】

そっけなく書きなぐった文字は、学生時代からほとんど変わっていないひどいクセ字だった。
当時からずっとデジタル派で、直そうという努力はとうに放棄しているようだ。
微苦笑していたらスマホが鳴った。
メール着信。
通知欄の件名を見て一瞬息を飲み、やや遅れて失笑が漏れた。
樹奈のちょっとした悪戯としか思えなかったからだ。

【Invitation to Black Treasure Box】

黒い宝箱。
あなたの心の奥底にしまいこまれた秘密の願望を解き放つためのアプリ。

フレーズのあと、おおよそ樹奈に言われた通りのことが、出来の悪い機械翻訳を使ったような文法で説明されている。
最後にはBTB0000ではじまるアドレス。

思いがけぬ幸運?に色めき立つか、血相を変えて自分に相談するか。
私のそんな様子を見てみたいとでも考えた樹奈のひっかけ。
それが私の直感だった。
そうでなかったら、どう考えても怪しいそんなメールの誘導になどけして乗らない。
前夜の酒が少し残っていたのも、判断を曇らせたかもしれない。
いや、後からどう言ってもやはり私がうかつ過ぎたのだろう。
見事にひっかかったふりをして、逆に樹奈をからかってやるとしよう。
そんな程度の思惑で私は件のアドレスをクリックした。

とたんに、スマホ画面がどう考えてもありえない光を放ち、視界が真っ白に塗りつぶされた。

ほんの数秒、あるいはもっと短い時間だったと思うが、意識が飛んだ。
気がつくと元の姿勢のまま、スマホを手に立ち尽くしていた。
自分が何をして、何が起こったのだったか、しばらく考えがまとまらなかった。
ようやく思い出してスマホを確認したが、特に新しいアプリが入れられた様子もない。

寝ぼけて何かを錯覚でもしたのだろうか、と思っていると手の中でスマホが震えた。
普通では考えられないような、少なくともこれまで使っていてそんなことは一度もなかったくらいの激しいバイブレーション。
画面が暗転したかと思うと、中世の羊皮紙風な巻物のアニメーションが現れ、私にそれを告げた。

【このスマホに向かっておま×こと三回叫べ。出来る限りの大声で】

文字を追うことは出来ても、意味を受け入れるまで数十秒の時差があった。
そして受け入れてしまうと、あとは夢中だった。
自分でもひとつ持っているが、口に出してその名を呼ぶことなど滅多に、まして大声で叫ぶことなどけしてなかった名を、命じられたままに連呼したのだ。

「おま×こ! おま×こ! ……お、ま、×、こぉぉ!!」

最後の一度はわざわざ大きく息を吸い込み、一音節ずつ区切るようにしながら、ことさらはっきりと発声しさえした。
あまりのことにその直後はげしくむせかえってしまったほど。

我にかえり、周囲を見回した。
部屋にはもちろん私ひとり。
そこそこ高額のマンションで防音もしっかりしている。
窓さえ閉めておけば、テレビを最大音量で流したのでもない限り、隣人たちに聞かれるということはないはずだった。

自分が特別上品な人間とも思っていない。
だが教師という職業は、ある意味警官や医師と同じで、プライベートだろうと教師としてあることを求められる。
地元の町、少なくとも教え子たちやその父兄の耳目のある範囲では、それなりに自分を律しないといけない。

その私が、何だってこんなことを。
ひとまず安堵を覚えると、その疑問が沸いた。
どうしようもない衝動に突き動かされた、としか言いようがなかった。
今時にしては特別凝った演出とも思えない、あのスマホのアニメーションを見たとたんにだ。

まさか、本物?
樹奈のいっていた謎のアプリを本当にダウンロードしてしまったとでもいうのだろうか。
「冗談じゃない」
あわててスマホを操作するが、画面に新しいアイコンが増えてもおらず、設定画面からインストール一覧を確認してみても、それらしいものは出ていない。

おそまきながら自分のうかつさを呪いながら、ともかく樹奈を頼ろうと通信アプリを開こうとしたその時、画面が暗転した。
またあの巻物のアニメーション。
「ひ!」
第2の指示がほとんど間をおかず届いたものだった。
あわてて目を背けようとするがかなわず、スマホ本体を放り投げることも出来なかった。
羊皮紙に記された命令に目が吸い寄せられる。

【外に出て同じ言葉を叫べ。出来るだけ人の多い場所を三つ選んで三回ずつ】


Black Treasure Box(まとめ)


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