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ある受刑囚の手記3

話が前後してしまうが、今も私の立場は微妙だ。
広く誤解されているか、あるいはあえて曖昧に報じられているようだが、あの国の司法は、私に対する有罪判決を否定してはいない。

あの国の法律上では、私は相変わらず受刑者ということになる。

詳しくは分からないが、私の帰国に関してはいささか「強引な」方法も取られたようだ。
もともとあの国に、受刑者のその後について定めた法律はない。
そもそもが電気椅子やガス室に送る代わり、すべての権利を根底から奪い去り、人間として扱うことを停止する刑罰だ。
受刑者の外国への連れ去りも、だから明確に禁じられている訳でもない。

私の場合、その存在が国際世論の高まりに寄与しかねないと判断されて、くりかえし「送還」を求める声明が出されているようだ。
今のところ母国の政府はこれをあるいは人権を楯に毅然と、あるいはのらりくらりと拒絶してくれているという。
支援者たちはあまり悲観的なことは言わないが、この先どうなるか分からないというのが本当のところではないか。

決まるなら早く決まって欲しいと思う。
なまじ私が人間に戻りきってしまう前に。

3年間私の身体をむしばみ続けた獣化剤は、完全には中和されきっていない。
医師たちは努力を続けてくれていると思うし、家族や友人、支援者たちは誠意をもってはげましてくれるが、私はまだ半分近くケダモノのままだ。

杖をつくか、手すりにつかまりながらなら、今いるこのコテージくらいなら、歩きまわれるようになってはいる。
それでも、気が急く時であるとか、かっとなった時、つい四つん這いに戻ってしまう。

衣類を自分で取り替えられるようになったのさえつい最近だ。
色々な人たちの手前人間らしく、少なくとも人間らしくあろうとつとめているように振る舞っては見せるが、本音を言うなら、裸でいた方がずっとくつろげる。
ベッドで横になるより、床で丸まっている方が寝付きが良く、身の回りの世話をしてくれている人たちも、最近はさじを投げたようで、せめてもと部屋にクッションをおいてくれた。

あれはいつのことだったか。
テレビカメラの前でこらえきれなくなり、派手に失禁してしまったことがあった。
まさか放映はされなかったことと思うが、どうなのだろう。

恥かきついでに書いてしまえば、トイレは今もどうにも苦手だ。
もよおしたなら、いつどこでだろうとさっさと済ませてしまうなが当然だったケダモノには、決まった場所でしかしてはいけないというお約束がどうしてももどかしい。

やはりケダモノらしく自分の尿でなわばりを主張したい思いもある。

この湖畔のコテージに移ってからは、近隣の目もないことだし、屋内でところかまわず垂れ流されるよりはと介護師たちもあきらめたのか、庭に出ての排泄は容認してくれるようになった。
つい今しがたも、この手記を書くあいまに、外の空気を吸いがてら用を済ませてきたところだ。

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