ペットになった日・下 (完)

普通に歩けばもちろん私の方が背も高く、レン君のペースに合わせてあげなくてはいけないところだけれど、今はレン君が時々立ち止まって私を待たなくてはならない。
そんなことも何となく嬉しいらしく、レン君は私が追い付く度にエヘヘ、と笑って頭を撫でてくれた。
髪の毛をくしゃくしゃにされる感触に、自分がレン君のペットになったことを実感する。

向かい側から、小学校入学前くらいの女の子を連れたお父さんがやってきた。
「おねえさん、ワンワンなの?」
女の子は私を見て小首をかしげ、聞いた。
お父さんが叱ったものかどうか困った顔をしたが、レン君は臆した様子もなく、
「そうだよ。今日から僕のペットなの。名前はユーユ」

他人にペットとして紹介される。
まだそこまでの心の準備があったかというと、心もとない。
まだ恥ずかしさの方が先にたった。
それでも、自分のペットと胸を張ってくれたことが嬉しく、誇らしく、レン君への感謝と尊敬が胸を熱くした。

「へえー」
女の子は不思議そうな興味深そうな顔で私を見つめた。
「わんわん、クィ~ン」
まだまだ照れもあって少しおどけた感じになってしまったけれど、精一杯愛想良く、犬として挨拶をした。
「わ、本当にワンワンなんだ」
女の子はたちまち顔をほころばせ、片手を差し出してきた。
「お手」

飼い主であるレン君より先にそんな風に命じられることに、少し鼻白むものもあった。
ちらりとレン君の方をうかがうと、気にした様子もない。
「お手だよ、ユーユ」
「わん」
片手を、いや、前足の一方を持ち上げ、女の子の手に重ねる。
もうかなり汚れてしまっているので、お父さんの手前、触れるか触れないかくらいで止めるつもりだったが、子供の方はそんなことに頓着はしなかった。

「おりこうさんですねー」
女の子は私の頭をポンポンと叩いた。
まだほんの小さな子供の力はたいしたことはないが、レン君よりも遠慮がない。
そのあたりでさすがにお父さんが止めに入って、まだワンワンと遊びたがっている娘をなだめすかし、私から引き離した。

「大変ですね」
呆れ半分同情半分という感じで耳打ちされ、いえいえ、と軽く会釈しておいた。

「よくやったよ、ユーユ」
父娘連れが離れていってから、レン君はしゃがみこんで私と目線をあわせながら言った。
私が女の子に褒められたことを素直に喜んでくれていた。
私もペットとしてレン君の期待に応えられたことが誇らしかったし、自分がレン君の所有物になったという実感に、いびつな快感を覚えてもいた。

「わんわん!」
顔を寄せてくるレン君の、そのほっぺたをなめてあげる。
「もう、ダメだよぉ、ユーユ」
言いながら、レン君も私に頬擦りを返してくれる。
男の子の若々しい香りを、それこそ犬のように鼻をクンクン鳴らして吸い込む。

見ようによっては、いや、そうでなくても危険な構図だったかもしれない。
これはほんのお遊びなんですよ、とまわりにアピールするため、ことさら大袈裟にわんわん、キャイ~ン、と吠え続けた。
人々はおおむねは微笑ましそうな顔で私たちを見てくれていた。

「ユーユ、お座り」
「おん」
言われた通りのポーズを取る。
「ゴロンてして」
「わん」
背中から芝生の上に転がり、手足を軽く曲げるようにする。
いい子いい子、と無防備にさらしたお腹をレン君がなでてくれるのに任せる。

幸せだった。
この時間がずっと続けばいいのに、と思うほど。
いっそ本当に人間などやめてレン君のペットになりきってしまおうか。
もう衣類をまとうこともなく、レン君の家の庭にゲージをおいてもらってその中で暮らす。

そんなことは出来ないのも分かっている。
レン君もいつまでもこんな遊びに夢中ではいられないだろう。
このいびつさに気付いてしまう時が先に来てしまうのかもしれない。
その時ふたりはどうなってしまうのだろう。

将来の喪失感を思って寂しさが胸を覆いそうになるのを打ち消す。
今はこの幸せにひたっていよう。
そしてそれが少しでも続くように、精一杯いいペットでいよう。

今日レン君のペットになった。
今日は私がペットになった日だ。
この日付をずっと忘れずにいよう。
日記をつけておくのもいいかもしれない。
レン君にも私の飼育日記を書いてもらおうか。
いつか彼が去っていく時にも、その日記は残ってくれるかもしれないから。

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