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悲劇のヒロインになろうとしていませんか?!

こんにちは、なおこです。ご覧いただきありがとうございます。

ちょっと不思議なタイトルかもしれませんね。「だれも悲劇のヒロインになんてなりたくないのに、なろうとしているって何?!」と思う人も多いかなと思います。

でも、無意識のうちに自分から悲劇のヒロインになろうとしていることがあるのです。こわい…。まあ、私もそうだったんですけどね。

■ だれかと比較しない。今ここの自分。

まず、悲劇のヒロインとはどういう人なのかと言うと、「はぁ、どうせ私なんて…」「いつも私ばかりこんな目に…」「みんな幸せそうなのに私は…」などとしょっちゅう落ち込んでいる人ですよね。

これを見ていて気付くのは、だれかと自分を比べているということです。自分を卑下しているんですよね。そして、悲しみや苦しみの感情にずぶずぶとハマっていってる状態です。

悲しい時には悲しい思いを味わいきることも大切ですから、悲劇のヒロイン状態になってしまうことも当然あるでしょう。でも、その状態に囚われ続けてしまうと、自己否定で自分がどんどん苦しくなり、抜け出せなくなっていってしまいます。

悲劇のヒロインにならないためには、過去や未来への感情や状況に囚われないで『今ここを生きること』そして、他人と比較しない・他人のせいにしない・他人の役割を奪わないで『自分軸で生きること』が大切です。

これらはすべてにおいて重要なことなので、覚えておくと良いと思います。

悩みの真っただ中にいる人、なんかモヤモヤしている人、こういう傾向に陥りやすいという人は、呼吸を整えて落ち着いてから今ここの自分を感じてみましょう。

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余談ですが、こういう状況で男女関係が始まること多いんじゃないかなぁ、と思います。辛い状況下で頑張っている人をみると、サポートしてあげたくなりますよね。

いつも落ち込んでいるのに、自分が話したことで笑顔になってくれたら、自分が人の役に立ってるという感覚を味わえますからね。

そうするうちに、お互いの気をひくために『もっと落ち込もう』『もっと役に立ちたい』と自立していない者同士で負の歯車がガチッと噛み合ってしまうことがあるんです。まさに私と夫のことですね…。

こういう感じで依存の関係ってつくられていきます。

とはいえ、そういう関係になることにも意味があるはずです。嫌になって相手のせいにしてお別れではなく、学ぶ機会にしてみると自分の人生において、ものすごく成長するチャンスになりますよ。


■ 悲劇のヒロインになろうとしている、とは?!

落ち込んだとき誰かにやさしくしてもらえると、それがうれしくなって、『かわいそうに思われたい』という気持ちになってしまうことがあります。

小さい頃に具合が悪い時だけ親がやさしかった(と自分は受け取ってしまった)というような経験があると、より顕著に出やすいかもしれません。

友達がつらい話をしているときでも、私のほうがもっとすごい(ひどい)経験しているという話をしてしまったり、ネガティブなことなのに優越感を持ってしまいます。

「私はこんなに大変な状況なの。でもこんなに頑張ってるのよ!」と周囲に共感を求めたり、健気なところをアピールしたりしていませんか。

これはもう自己憐憫(じこれんびん:自分をあわれむ、可哀想に思うこと)に陥っていて、自分から悲劇のヒロインになりたがっている状況です。

肩こりなどの症状とかでもありますよね。「いや、オレのほうがもっとひどくてさぁ、」みたいな。全然自慢できる話じゃないのに、うれしそうに話すっていう意味不明な不幸自慢。

(私も40年以上そっち側で生きてきているので、時々このnoteでそういう部分が出てるかも…)

ではなぜ、なりたくないはずの悲劇のヒロインになろうとしてしまうのでしょうか。

それは、他者から自分の存在を認められたいからです。


■ 自己憐憫はお得?!ネガティブな状況の中にある利点に気づく

『自分の存在を認めてほしい』という他者からの承認欲求が、まず自分の中にあるというのを知ることが大事です。なかなか認められないかもしれませんが、このネガティブな状況を喜んでいる自分がいることに気づいていくと心が軽くなってきます。

「つらい中よく頑張ってるね、すごいね」と言われると、承認欲求が満たされていきます。そうすると、この状況でいることを望んでしまうようになるのです。

そして、「大変な状況なのによく頑張ってるから、おごってあげるよ」なんて言われたり、やさしくされると、さらにこういう状況に依存していくことになります。

だって、承認欲求が満たされて、おごってもらえたりするなんて、得なことばかりじゃないですか!笑。

でも、他者からの承認欲求を得るために自分がどんどん苦しい状況になっていくというのは、どう考えても建設的ではないのです。自分で自分を認められるように心がけていきたいですね。

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私の話をしますね。
夫がギャンブル依存症で借金がたくさんあっても、「私はそれでも好きだからもう一回、夫と向き合ってやり直します」って言うと、「健気で良い奥さんね」と言われて私の株は上がります。

でも実は、「ひどいことをされたのに懐の大きい私、すごいでしょ。夫よ、この素晴らしい奥さんをもっと大事にしなさい」というような部分が無意識にあったんです。

これがネガティブな状況の中にある利点です。腹黒いでしょ。笑

世間体とか、自分が不幸だって思われたくないというプライドもあるし、名声とかお金への執着や、孤独への恐れなども関係してきます。不倫された人も同じ感じですよね。

こういう自分と向き合っていくと、だんだん違和感に気づいていくようになります。

■ 自分の非を認められると楽になる

また私の話ですが、夫のギャンブルと借金依存が少し落ち着いたかのように感じていたころ、再び借金が発覚しました。

「あぁ、またやっちゃったか」とすごく落ち込んでいる気持ちの中に、喜びを感じてニヤッとしてる自分がいたのです。この気持ちは一体何なんだろう…とさらに向き合うことにしました。

なんとその高揚感の正体は、「よし!自分が役に立てる出番が来たぞ!」という思いでした。これもネガティブな中にある利点ですね。

私は夫がギャンブル依存症で苦しむたびに、自分が心が大きくてすごい人だと知らしめるチャンスだと無意識で感じていたわけです。

いつも誰かと自分を比較して劣等感を持っている人にとって、困っている人がいると、自分が認めてもらえるチャンスになるからうれしいのです。

でも、たとえ劣等感からくるものだとしても、困っている人の力になりたいという気持ちは、本当にやさしい愛情深い人だからこそだと思います。それをゆがんだ形で表現されてしまっていただけなのです。

■ 完璧じゃないのが完璧

こんな汚いところも自分の一部なんだって認められると、すごく生きやすくなります。自分を受け入れるといいってよく言いますが、私は上っ面だけの受容じゃ流れを変えられませんでした。本当に受け入れるってこういうことだったんだと知りました。

みんな完璧じゃないし、完璧じゃなくて完璧なのです。ほんとの完璧になったらみんな同じでつまらない。日光東照宮みたいに未完成だからいいのです。笑 優劣も自分で勝手に思い込んでいるだけで、そんなものないのです。

日々の中で心がざわついたりする違和感を感じたら、その気持ちを覚えておいて、その違和感がどこから来るのか、ちょっと向き合ってみてほしいなと思います。そういう癖をつけると、自分の軸に戻りやすくなりますよ。

そして、世間一般の価値観や不安にとらわれて、自分を追い込まないでくださいね。今の世の中、干渉し合いすぎだと思うのです。誰と比べることもなく、あなた自身を生きていきましょう!

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