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親子間の依存に関するわかち合い①

こんにちは、スナオイロのナオコです。
わたしは元夫がギャンブル依存症だったことをきっかけに、自分の共依存症に気づき、自分自身と深く向き合うようになりました。
自分自身の体験から得た気づきや学びを、元セラピストの経験なども織り交ぜながら、わかち合いをしていきたいと思っています。


👆先日書いた『濃い2年間』という、ここ2年ほどの間にわたしに起きたことをザッとまとめた記事。
それを少しずつ深堀りして、わたしたちが一歩前に進んでいくためのヒントを探っていければいいなと思っています。


今回は『親との依存関係』についてのシェアになります。
この件に関しては書くことがたくさんあるので、ほんの一部になります。

親のことを悪く言うような内容に捉えられる部分もあると思います。
わたし自身も、正直書いていていい気分がしないところもあります。

ですが、わたしにとっての過去の事実を書いているだけで、わたしは今でも親のことを嫌いではありませんし、親に責任があるとも思っていません。
(嫌いになれたらラクなのかな…と思うことは多々あります。)

そのような箇所に焦点を当てるのではなく、そういった経験を通して「どのような学びや気づきを得たのか」という側面に焦点を当ててご覧いただけるとありがたいです。

また、わたしの場合は親子間ですが、親に代わるような自分よりも上の存在の人が当てはまる方もいると思います。



依存症と親との関係性についての私見

わたしは多くの依存症の根本に、親との関係性が深く関わっていると思っています。
このようなことを言うと反発する方が多いかもしれませんね。

わたしだって、このようなことに気づいていったとき「うそでしょ?!」「いや、わたしの親はちゃんと育ててくれた」「わたしが間違ってる」…って、なかなか受け入れられませんでしたから。

でも、自分がいろんな事象をどんどん俯瞰してみられるようになると、認めざるを得なくなりました。

わたしは親に対して知らず知らずのうちに、親を崇拝するようなフィルターをかけて(「かけさせられて」が正しいかも)生きていたんです。
その洗脳が解けてしまいました…。


親子間の依存関係に気づいたきっかけ

わたしが親子間の依存関係に気づいたのは、元夫がギャンブル依存症だったからです。
ギャンブル依存症の元夫と向き合う中で、わたし自身も共依存症で生きづらさを抱えていたんだということを認識していきました。

わたしはそこから、ギャンブル依存症の家族の自助グループに行ったり、セラピストをしていた時の知識を自分に使いながら、自分自身とより深く向き合うようになっていきました。

そうすると今までと同じような日常が、だんだん違ったように見えてきました。

わたしは「自分自身の人生を生きたい」「生きづらさを抱えている状態から脱出したい」と、自分を俯瞰的にみるように心がけていたので、少しずつ自分の感情や心の動きを察知・観察できるようになっていったんですね。

当然、親と会う時にも俯瞰的にみる状態でいるわけです。
すると、今まで何ら疑問に思わなかった親の言動に疑問を持ったり、怖さを感じたり、会っている時間を苦痛に感じるようになっていきました。
でもその苦痛は、前々からあることに薄々気づいていたけど、気づかぬふりをしてフタをしていた部分だったんです。

でもその苦痛の存在を一度認めたら、フタができなくなってしまいました。


ちょっと一休み🌳😊

重い気分になってしまった方もいらっしゃるかと思いますので、ここでちょっと一休み。
深呼吸をして落ち着きましょう。

ここまで読んで苦しいと思ったら、これ以上読まないという選択をとっていいですからね。

そして、わたしと同じように親へのネガティブな感情が湧き出てきてしまったら、まずは自分を否定しないでください。
そして、できればあなたの親のことも否定しないで(とくに否定しちゃう自分のことは否定しないで。)、感情の渦に巻き込まれず、ただただありのままに客観的に眺められると良いなと思います☺


なぜ親を苦痛に思うことにフタをしてきたのか

と自分に問いかけると、以下のような想いが出てきました。

  • 親がこわかった

  • 親を素晴らしい人だと思っていた

  • 親を嫌だと思ってしまう自分が間違っていると思っていた
    (罪悪感、自己嫌悪)

  • 親を大切にしなくちゃいけないという社会の固定観念

  • 親への想い

今回は、「親がこわかった」「親を素晴らしい人だと思っていた」という点について、わたしのシェアをしていきます。


親がこわかった

わたしの父親はすぐに大声で怒鳴って怒る人で、それがすごく嫌でした。
今でも思い出すと身体に力が入るし、胸がぎゅんって締め付けられて呼吸がしにくくなる感覚になっていたことを覚えています。

小さい頃は、夜になるとしょっちゅう1階から父と母のケンカする声が聞こえていました。とくに父の大きな怒鳴り声が。

わたしは親が離婚するんじゃないか、という恐れの感情でいっぱいになっていました。
ケンカが聞こえないように、泣いていることがバレないように、布団をかぶって耳を塞ぎながら、いつも泣いていました。


また、テレビを見ていても「こいつはくだらん」「生意気だ」と人の文句をよく言っていて、わたしはそれを聞きたくなんだけど、親の目の前では耳をふさげないから、気にしていないフリ・聞こえていないフリをして、ただただ苦しかったという思い出もあります。

でもね、深く自分自身と向き合うまでは、ここまで怖い思いを自分が感じていたなんて思ってもいなかったんです。
自分を守るために小さいながらに身につけたんですよね、自分に嘘をつくことと、心にフタをする方法を。


親を素晴らしい人だと思っていた

わたしの父親は、家じゃない場所や ほかの人に対してはとても礼儀正しい誠実な人という感じでした。
躾も厳しくて、箸の使い方や姿勢などもめちゃくちゃ怒られました。

また、父が人からほめられた話、過去の栄光など「お父さんはすごいんだぞ」という自慢話を事あるごとにしていました。

それを小さいころから刷り込まれてきたから、わたしにとって父親は「完璧なすごい人」。
大人になって少しずつ親のいろんな面がわかってきてびっくりしました。

高校生の時、母との会話の中で父に食べ物の好き嫌いがあることを知り、まさか父に好き嫌いがあったなんて!!! と衝撃を受けました。
父がわたしに怒っていた 箸のよくない使い方(箸で食べ物を突き刺したり、箸を使ってお皿を引き寄せたり…)も父自身がやっていたり、姿勢も悪いし…、矛盾がいっぱいでした。

先ほど、父親はテレビを見て有名人の文句を言っていたと書きましたが、わたしは父親がすごい人だと思っていたから、文句を言っているのではなく、正しいことを言っているんだと思っていました。


親を嫌だと思ってしまう罪悪感・自分への嫌悪感

親は わたしのことを思っているからこそ心配し、怒ってくれるのに、なんでこんな良い親から逃げ出したくなる自分がいるんだろう…。
なんで家族といるとうまく笑えないんだろう…。身体に力が入るんだろう…。
はぁ…申し訳ない…。

依存関係にはっきりと気づくまで、40年以上ずっとそう思っていました。

ここから先の話は、もっと深掘りしていきたいのでまた後日。m(__)m


親子関係は支配関係であることに気づきにくい

親子関係は、権威や支配関係であることに一番気づきにくく、また ごまかしやすい関係でもあると思います。

(わたしの父のような怒って圧力をかける場合もあれば、悲劇のヒロイン的な弱い立場を使ってくる支配もあります。これはもっと気づきにくくて質が悪いと思ってます)

「愛情だ、子供のためだ、しつけだ」
と言ってしまえば、子供は「親の愛情なんだ…」と思い込もうとするし、親自身も自分が正しいと思い込んでいるから気づけないんですよね。

そして子供は、「自分は親に迷惑をかけてる悪い子なんだ…」って思ってしまう。
自己犠牲・自己否定、罪悪感を感じさせられて生きているんですね。

こうやって抑圧してしまった感情、本当の自分自身を表現できなくさせられてしまった苦しみや怒り、恐れなどが、インナーチャイルドとして大人になっても影響し続けているのです。
そのインナーチャイルドと向き合わないまま親になって、権威的立場を手に入れちゃって、このような親子関係が出来上がってしまう。
精神的歪みのほとんどの根本がこういうところにあると、わたしは思っています。

人を傷つけたりする大きな事件の多くが家族間で起こっていると知っていますか?

「親子なのに…」という感想を持たれる人が多いと思いますが、近い関係だからこそ、本当は意識的に距離をとる必要があるのです。

それには、大人が精神的に自立をしていなかったことに気づき、あらため、生き直していくことが必要だとわたしは思っています。

でも、『親に根本の原因がある』ことと『親が悪い』というのはイコールではないと思っています。
この辺の話もまたしていきたいと思います。


気づきと経験をわかち合うことへの葛藤

わたしが2年ほどブログやYouTubeを更新できなくなった理由の1つが、この親子関係の経験をわかち合うことへの葛藤でした。

わたしはここが核の部分だと思っているので、この経験のわかち合いをしないまま続けていくことが難しくなってしまったのです。

なぜ葛藤があったのかというと、親のことを悪く言うようにも伝わってしまいかねないからです(先ほども書いたように、わたしは親が悪いとは思っていません。わたしが精神的な成長をしつつある(と思っている)のも、こういう両親だったからこそです)。

でも、「この事実(わたしにとっての)を公開することで傷つく人がいるかもしれない…」と思うと、なかなか勇気が出ませんでした。
あとは、やっぱりわたし自身の表現をすることへの恐れですね。根深いわ。😅

でも、離婚をし、新しい自分の人生を生きていこうとする中で、また、時代の転換点で大きく精神が揺り動かされるような出来事が多く起こっている中で、やっぱりわたしが自分軸を意識して生きられるようになった経験や気づきをわかち合わうことは大切だなと。
なんだか大変おこがましいのですが、そんな思いで意を決して再始動することにしました。

今、折しも風の時代が本格的に始まりだしたタイミング。
『2024年』は、いろんな隠されてきたことが明るみになり、ゆがんだ構造で出来上がっていった関係性や権威が崩壊していくような時代だと思っています。
そんな時代の流れや天のあと押しを受けているのかな、と思ったり(そう思いたいのよね。笑)。

ちょっと心がモヤモヤする、生きづらいな…と思われている方、少しずつ本当の自分を知って、本当の自分自身の人生を歩いていきましょう☺

あなたが、あなた自身の心の平安とつながれますように✨

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