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濃い2年間

こんにちは、スナオイロのナオコです。
わたしは元夫がギャンブル依存症だったことをきっかけに、自分の共依存症に気づき・認め、精神的自立をするために、自分自身と日々向き合っています(と自分で思ってます)。

その中でわたしが得た気づきや変化、体験などをわかち合って、同じような方のサポートになればいいなとブログやYouTubeをはじめましたが、2年ほど発信することができませんでした。

この2年間、わたしには本当にいろんな出来事がありました。
今回は、そんなわたしの2年間+α をざっくり振り返りつつ、大まかなわかち合いをしたいなと思っています。

そして後日、そこからもう少し掘り下げて、わたしの気づきなどをお伝えしていこうと思っています。


親子間の依存関係、適応障害に気づいた

このことに気づきはじめたのは、もう4年ほど前。
コロナで世の中がおかしなことになっていた2020年の春くらいのことです。
(とはいえ、わたしが適応障害だと思っているだけで受診もしていないし、べつに病名とかはどうでもいいんですけどね。)

わたしが自分のことを共依存症だと認めたのが2019年5月で、ギャンブル依存症の家族の自助グループに行ったり、自分自身の生き方を見つめ直すようになったことで自分自身の歪みに気づき、そして夫とだけではなく、家族とも依存関係にあったことに気づきました。

親との価値観の違い

わたしの親は過干渉でした。
わたしはそれがすごく嫌だったけど、それを大きな愛なんだと思い込んでいたので、逆に愛情深い親のことを嫌だと思ってしまう自分のことも嫌だったし、親に対してすごく申し訳なく思っていました。

また、親孝行をしなくちゃいけないという世の中の固定観念にとらわれていた わたしは、親から何かを頼まれたら自分が大変な時でも「親孝行だから…」と罪滅ぼしをするかのように引き受けていました。

でも、コロナで親と会わない日々が大幅に増えたことで、親と会いたくない自分がいることをはっきりと認識しました。
それどころか、親と会うことに恐怖を感じていたことに気づいてしまいました。

その気づきは わたしにとって とても衝撃的で、辛く、悲しく、混乱状態に囚われてしまいそうにもなりました。

引っ越し

わたしはそれまで、親と自転車で20分ほどの距離に住んでいたので、頻繁に会っていました。
でも、親との依存関係と、親への恐怖も認識しまってからは、これは早く離れたほうがいいと引っ越しを考えはじめました。
それと同時に離婚も視野に入れていました。

その当時の夫は、YouTubeでも話したことがあると思うけど、夫の弟しか住んでいなかった夫の実家に1年ほど家出?をしていて、たまに帰ってくるという状態でしたが、なぜか一緒に引っ越すことになりました。笑

そして2021年の秋、なんとか引っ越すことができました。
わたしも夫も 縁もゆかりもない土地で、ギャンブル依存症の夫はお金もなく(夫の借金はあったけど)仕事もしてない状態だったので、引っ越してからも本当に引っ越せたのか疑いたくなるくらいミラクルな引っ越しでした。

発信再開したものの続かず…

引越して少し経ってからYouTubeとブログを再開したものの、なかなか続けられませんでした。

引越し前に発信していたときは、先ほども書いたように夫が家にほとんどいなかったんですよね。
言い訳にもなってしまうけど、やはり一緒に暮らす人がいるということは、その人のペースに合わせてしまうわけで…。

そして、わたしは身体のことと、人間関係に疲れていたこともあり、外で働かなかったから収入はほぼ夫頼み。
だからありがたいな、と夫に合わせてしまうようになっていました。

あと、親から逃げるように引っ越したことをわかち合うのに躊躇してしまう自分もいました。
このあたりの部分がとても大事で、ここをシェアしないまま ほかの部分だけを伝えていくということが難しいなと感じていたという理由もあり、フェードアウトしてしまいました。

夫のギャンブル依存は止まず

わたしは引っ越す前から、夫のギャンブルはやめてもやめなくてもいいと思っていました。
人を自分の思い通りにコントロールすることができないと学んだから。
人をコントロールしようとすることが苦しみを生みだしていたのだと痛感させられたから。

でも正直、どこかでほんの少し期待している自分はいたんですよね。
だって、ほぼ1年間別居していた2人が縁もゆかりもない土地に引っ越して、「心機一転やっていこう」って再び暮らしはじめたわけだから。

再び、ほぼ別居

再び一緒に暮らす前に、『同居人』という感じでやっていこうと話し合いで決めて、それぞれの部屋もあったので 同じ家にいてもあまり干渉し合わないようにしていました。

ただ、夫はギャンブル依存症なので、仕事の収入はわたしが預かっていた銀行口座に振り込まれるようになっていました。

だから夫は自分のお小遣い稼ぎのために、休みの日にも働いていたのですが、ここよりも実家の近くのほうが単発バイトがあるからと、片道2時間もかかり、電車賃もかかるようになった実家によく帰っていました。

そんなこんなで暮らしていた2023年の春、夫が会社の都合で部署移動をすることがほぼ決まってしまい、断れなかった夫はOKを出したんだけど、数日で仕事に行かなくなって辞めてしまいました。

それからは、それまで以上に実家に帰ることが増えたというか、ほぼ実家に行きっぱなしであまり帰ってこなくなりました。
そして、夫からの収入は途絶え、わたしも少し外で働きました。

でも、やはり、数日でわたしの身体に不調が次々とあらわれてきました。
わたしは、この世の中の社会・人間関係のシステムの中で働くことができないという通告をされたような感じがしました。
(「ただのわがままでしょ。甘い」って思う方が多いと思いますけど。)

夫と波長が合わないと感じた

夏になり、夫と2カ月ぶりくらいに会って話をしたとき、思わずハッと息をのんでしまったほど『波長が合わない』と直感的に思いました。
とくにイヤなことを言われたわけでも、嫌いになったわけでもないし、どこが変わったのかもよくわからない。

でも、そのとき「あっ、もう終わりなんだな」って思いました。
その数日後、夫はまた実家のほうで仕事があるからと出ていき、3日くらいで帰ってくると言っていたけど、今日まで約5カ月会っていません。

すごいね、直感って。

個人事業主になった

一般社会では働けない。夫の収入は入らない。
じゃあどうするか…ということで個人事業主になりました。

文字にすると かるい感じですけど、なかなか踏み出せなかっただけで、自分の人生を納得して終えるためには必要なステップだと思っていたので、わたしなりに覚悟を決めて、開業届を出しました。

離婚しました。

わたしは長年、夫から何度も「離婚したい」と言われてきました。
(逆じゃないの?と思うでしょうが、わたしが言われてきました。)

離婚する覚悟は1度目の別居の時から持ってはいたけど、でも嫌いになれなかったので、夫が離婚届を持ってきたら離婚しようとは思っていました。
でも持ってくることはなかったので、戸籍上の夫婦が続いていました。

でも、久々に会って『波長が合わない』と感じたときの感覚…。
これは一緒に暮らすことはむずかしいなと思いました。

そして、わたしから離婚届を送り、電話と郵送でやり取りをして、離婚をしました。

感謝の日々

戸籍上の離婚はしましたが、家のこととかでは関係性が継続しています。
まだ完全に自立ができていません…。
だからいろいろ不安になったりすることもあるけど、囚われなければ不安は感じてもいいと思っているのであまり気にはなりません。

親や元夫に対しては いろんな想いが湧き上がってくるけど、そのたびに最終的には感謝の気持ちでまとまります。
そして、それぞれが本来のしあわせを感じながら生きてくれたらうれしいなと思っています。

本当にかなり濃い期間というか、なかなかに大変な人生で、二度と同じ体験はしたくないと思っていますが(笑)、わたしが『本来のわたし』として生きていくため、そして精神的に学んで成長していくためには、このような出会いと道のりが必要だったんだなと、心底思っていて感謝しています。

おわりに

これでもかなり まとめたつもりなのですが、ずいぶん長くなってしまいました。
ここまで読んでくれる人が果たしているのだろうか?笑

でもこれを書くのに4日間もかかったので、無事に書き終えることができて自己満足☺✨

前々から思っていたことなんですけど、わたしはなんだか、人より先に困難のような体験をさせられているように感じることがあります。

わたしの体験や気づきが、あなたの癒しや成長、本来の愛と豊かさにあふれる日々へのヒントになればいいなと、自分の心の整理をしつつ、わかち合いをしていきたいです。

どうぞよろしくお願いいたします。
お読みいただきありがとうございました☺

ありがとうございます! このnoteを良いな♪と思っていただけましたら、サポートをよろしくお願いいたします☺