これからが

これからが始まりだ

『アイスと雨音』
という作品を61回観た。

円盤含めてじゃなく、映画館等での、
大きなスクリーンのみで。

都内での公開が終わり、一区切りついて
関東地方の映画館を周り始めた
1年前に書いたnoteがある。

あれから1年
12都府県23箇所と、
様々な場所へ行った。

嫌いになることも、
飽きることも結局なかった。
好きになる一方だった。

2019年5月現在。
どこにも公開情報・予定がない。

またどこかであるかもしれないが、
ひとまず終了した。

ふと、
きちんとちゃんと想いを書きたいな、
と思い筆を取ってみた。

なぜ『アイスと雨音』を
観続けてきたのか。
そして、
『アイスと雨音』への気持ちを。

注意
舞台『みみばしる』のことも交えて
話しています。
多少ネタバレが含まれます、
ご了承の上お進みください。

【劇場でも観え方が違う】

1年前のnoteにも書いたが、
劇場によって音や
映像の明るさが違うので、
全然違ったものに観えるのだ。

観続けたことによって、
劇場自体の雰囲気・歴史などを
感じられたり、知れたり、
その中で『アイスと雨音』に
関する繋がりが見つかったりと、
また違った楽しみ方を見つけていた。

印象に残っている場所としては、

MOROHAの出身長野・上田にある
元劇場の映画館、上田映劇

とてもアットホーム感があり、
大きな出会いもあった
神戸・元町映画館

MOROHAがよくライブを
行っている場所 沖縄・G-shelter

がある。

【本多劇場での上映】

中でも「一番」をつけるのであれば、
舞台『みみばしる』休演日に実現した
本多劇場での奇跡の上映だ。

当日は、開場前、
いや前日からドキドキしていた。

開場し、1番最初に入り、
誰もいない客席を観た時、
「ここに今から、人が入るんだ。
 空っぽじゃなくなるんだ。」
と思った瞬間、泣いてしまった。

前日も、その前の日も
『みみばしる』を観るために
入ってたのに。全然違った。
空気が違った。

会場内にいるだけで、
心臓が止まりそうだった。

上映中、目の前にスクリーンが
あったのにも関わらず、
自分がどこにいるのか分からなかった。

本多劇場にいるけど、
違う本多劇場だった。
現実では2019/2/12だったけど、
上映中僕は確かに、撮影日である
2017/3/26の下北沢にいた。

本多劇場内にいるはずなのに、
一緒に本多スタジオにいて、
街を歩いて、
当時の本多劇場に一緒に突入した

僕は確かにあの時、
『アイスと雨音』だった。
カメラマンでもなく、
キャストでもなく、
スタッフでもなく、
エキストラでもなく、
松居大悟でもなく。
『アイスと雨音』という
1人の人間だった。

【人間みたいな作品】

1年前に

アイスと雨音には
何人も出演しているのにも関わらず、
観ているとたまに1人の人間と
対話しているように思う時がある。

アイスと雨音の中に
入っている時があるんだ。

良く知っている場所であったり、
何度も観ているから
カメラに映っていない後ろ側まで
わかるようになったり、
音が様々な角度から流れてくるから。

そうなった時に思ったことが、
アイスと雨音は1人の人間だ
というものだ。

それは松居さんとはまた違う、
塩谷さんでもなく、
代弁者でもなく、
傍観者でもない、何者かだ。

その考えに辿り着いた時に僕は
本当は人と話したいんだ
という、気持ちになった。

今までずっとこちらに語ってきた
」と、会話をしたい
だから、今こうして書いているんだ。

と書いた。

そういえば同じように感じていた、
と思い出した。

その際に去年noteを書いた時に
松居さんがリアクションをくれた、

というツイートも思い出した。

あの時気付かなかった「何者か」。
会話をしたいと思っていた「」。

あの瞬間「だけ」、僕は確かに
その「何者か」になっていた。
そして、ようやく自分と会話が出来た

人間みたいな作品って、
そういうことなのか。
瞬間、自分になれる作品。
でも、1人の人間でもある作品。

それが気付けた、上映だった。
他の劇場では、気付けようのないもの。
だからこそ「一番」、
印象に残っているのだ。

【他の作品を観る】

スタッフやキャストらは全員、
もちろん『アイスと雨音』以外にも
活動はしているし、
常に進み続けている

この1年、『アイスと雨音』以外にも
彼らが出演している作品を、
いくつも観た。

本人達がどのような演技をするのか
というのを以前以上に、
より細かく観るようになった。
更に、イベントなどで会える時には、
どのような人なのか
というのをより知れることによって、
この人はこういう人なんだ
となった。

素でやっている部分があるからこそ、
素や、芝居を知ることによって、
良さが出るし、奥深くなっていく。

別の作品を観れば観るほど
より好きになっていった。

『アイスと雨音』の奥深さを
より強く感じさせてくれた作品が、
舞台『みみばしる』だった。

【みみばしるとの共通点】

みみばしる』
『アイスと雨音』での舞台になった、
本多劇場での上演。
それに興奮しないわけがなかった。

『みみばしる』は、
ラジオ『JUMP OVER
から生まれた。

『JUMP OVER』が始まったのが、
2018年2月(プレ放送)。
まさに、『アイスと雨音』と共に
駆け抜けてたラジオだった。

定期的にメッセージを送った。
送れるものは全て送った。
オーディション、キャッチコピー、
ロゴ、電話口での一瞬の出演。

全てが嬉しかった。
作品に参加出来ていることの喜び
多くの人たちとの関わり
僕は、ラジオが好きになっていた。

あっという間に時間が過ぎて、
気付いたらもう本番が始まっていて。
本番の2時間弱も、
あっという間に駆け抜けていった

『みみばしる』は、23回、全通した
理由は、みみばしったから。
(また別でnote書く予定)

何度か観ていると、
『アイスと雨音』と
『みみばしる』には、
共通点がいくつかがあった。

公演中止、宇宙、突入…。
その中でも、特に「これは…!」
という共通点があった。

それが、最後の台詞だ。

『アイスと雨音』

・みんな暗闇の中で輝く
 希望を欲しがるけど、
 そんなものはない。
・何をしたってなんにも変えられない。
 虚無があるだけ。希望だってない

『みみばしる』

センチメンタルっていう
名前をつけてさ、
あの真っ暗闇に浮かぶ 
綺麗な星になって、
一度でいいから、
たった一度でいいから、
光ってみたいと思うんだよね、まだ。

『アイスと雨音』では、
「時間という名の妖精」、MOROHAは
最後全員に認識はされるが、
交わることはなかった
だから、台詞は台詞で終わって、
音楽は音楽で、と
そこも交わらずに終わってしまった。
そこで絶望と希望が、
(希望と言える程のものでもないが)
はっきりと分かれてしまった。

しかし『みみばしる』では、
「ラジオから流れてくる音楽」が
ワタナベシンゴという「人」として
ラジオから飛び出してきて、
認識され、交わっていった
その影響から、境目もなくなり
一緒に歌うようにもなり、
絶望の中に希望が生まれるようになり、
最後の最後に、希望を叫んでいる

違うようで、どこか共通している。

【決意表明】

この共通点を見つけた時に、

『MORNING』が中止になったことで
人に対してや、
色々なことに対して絶望したし、
人のせいにしてきたけども、

3度目の正直で『みみばしる』が、
本多劇場で上演できたことによって、
希望があっていいんだ、
もっと高みを目指していこう、
人のせいにする暇はない

という想いを感じた。

その想いを感じた時に、
松居大悟の中から
『アイスと雨音』に対する未練が、
本当に完全に立ち消えたんだと思った。

だからこそ、本多劇場で
『アイスと雨音』を上映したことは、
意味があったんだ。

決意表明だったんだ。

もう未練はないけども
あの気持ちを一生忘れちゃいけない

そういう想いでのあの上映だったんだ。

それに気付けたからこそ、
『アイスと雨音』という作品は
もっと奥深くなったし、
もっと好きになった。
そして、『みみばしる』も
もっと好きになった。

【形にするということ】

『みみばしる』大千穐楽の日が、
『アイスと雨音』の劇場公開初日
と同じ、3月3日だった。
運命を感じた。

始まって、終わっていく。
その締め括りとして、この日だけは、
どうしても松居さんと話をしたかった。

どうにかして話すことが出来た。
その時に
「なにかしらやらなきゃね」みたいな
ことを言われて
必ず形にします」と言った。

その中でやった
30人での『みみばしる』合唱は、
僕1人だけじゃない、大人数での
『みみばしる』に対しての
恩返しだった。
もちろん、心の底から恩返しを
したいと思ったからだし、
皆で作りたいと思ったから作った。

『アイスと雨音』に関しては、
何も出来ていない。
『アイスと雨音』に対して、
 何か形にしなきゃ

そう思ってずっとモヤモヤしていた。

でも、そもそも。
『アイスと雨音』に対して
何かしなきゃいけない必要
ってあるのだろうか。と、思った。

松居さんが言っていた
「なにかしらやらなきゃね」は
『アイスと雨音』のことなのか?

違うだろう。
『みみばしる』のことでもないだろう。

僕が、
なおぽんちょとして
 なにかしらやらなきゃね」
なんだ。

『アイスと雨音』に
拘りすぎているんだ。
縋りすぎているんだ。

ずっと無意識に、
『アイスと雨音』が
よりも中心にいた。
それに、今更だけど
ようやく気付けた。

端にいた僕自身から、

お前、もういいだろ?
と言われて。

お前、もう認めろよ
と諭されて。

お前、やっとわかったか
と、笑われた。

同じタイミングで、
僕というものを見直すことが出来た。

僕は僕として、何かをやろう。
まだゴールのない何かだけど。

3月3日にもらったサインに
書かれた言葉。
2ヶ月越しに意味が
ちゃんと分かった。
そうだ、進んでいける進んでいこう。

さあ、

これからが、始まりだ

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