福島民報サロン8/27掲載

「私と楢葉」

私は18歳まで楢葉町で過ごしていました。当時は楽しく学校生活を送りつつも進路に悩み、将来自分がどんな大人になるのかへの不安、親とうまく付き合えない居心地の悪さ、自分という人間が分からず社会に出たら早く「何者か」にならなければいけないという焦り、そしてそれらを上手く言語化できず胸にくしゃくしゃにしてしまっていた。とにかく早く自立したくて、大人になりたくて、地元から離れたかった。穏やかな毎日が怖かった。
上京し、専門学校を卒業し、就職し、と数年がたち年2回ほど地元に帰る中で少しずつ楢葉町のいいところを実感するようになった。
東京から常磐線に乗り都会から景色が変わりゆくのを眺め、見慣れた風景になってくると「あぁ帰ってきたんだなぁ」とまるで仕事終わりに家に帰ってきたような安堵感が広がってくる。楢葉町に帰って来ると、子供のころと変わらないいつもと同じ景色、人の流れ、その季節の空、風、お母さんのごはんが待っていた。そして誰かに会うたびに「なおちゃん、おかえり」があった。都会で頑張る私にとって、いつでも帰ってきていい場所が、そこに変わらずにあることが支えになっていたんだと23歳の頃にはっきり分かった。それは東日本大震災、原発事故で全町民避難指示が出てそのまま町に入れなくなったことがきっかけだ。私は楢葉町出身だけど避難民ではない。だからこの12年間悲しかった思い、つらかった思いは言わなかったし言えなかった。
震災から時がたち避難指示が解除になり、私も結婚・出産を経てこれからの仕事や子育てのことを考え夫と1年以上話し合いを重ね楢葉町に引っ越すことに決めた。

現在、楢葉町に来て5年目。最高に楽しい毎日を過ごしている。自分が生まれ育った環境、景色の中でのびのびと子育てをし、3人目を出産、お菓子屋さんを開業、こども園のPTA会長、学校運営協議会の部員、地域協働センターでお菓子教室の先生をやったり、中学生と一緒に商品開発をしたり全部がやったことのないことばかり。とにかくなんでもやってみないと分からないので、とりあえずなんでもやってみる。
そして今年は、ならは百年祭をつくる会副会長を仰せつかった。この百年祭は、百年続く祭りをつくろうと町民の有志が集まって昨年初開催した。そして今年、私はお囃子の笛に初挑戦した。全然音は出ないし、指は動かないし、音も聞き慣れてないから覚えられないし、練習初日は散々だった。仕事が終わった後に子供の習い事の送迎をし、急いでおにぎりを握ってこども達3人を連れ、週に2回集会所に集まって練習し、ようやく先日8月19日に第2回目の百年祭が無事に終了した。やぐら踊り昼の部は私を含むルーキーズで、夜の部は楢葉の大先輩方で行ったが夜の部の盛り上がりは最高だった。先輩方がとにかくかっこよくて、私もそうなりたい!と思った。楢葉町にいると私は挑戦したくなる、わくわくがたくさんある、未来への可能性を強く感じる。勿論楽しいだけではなく悩んだり落ち込んだり、めんどくさいこともたくさんあるけど、それでいいと思っている。完璧な人や町なんてない。私は楢葉町が大好きだ。

(楢葉町上繁岡 おかしなお菓子屋さんLiebe代表)

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