自然が与えてくれる生命力に気づいてますか?
五月。
一年を通して、緑の一番美しい時期。
迫りくるような、木々の緑、
きらきらとして、まさに生を謳歌しているかのような、鮮やかさ。
その様々な色合いの緑を見ているだけで、
圧倒的な生命力が、こちらになだれ込んでくる。
この緑に、
この生命力に、
私が気づいたのは、一時期、家族で暮らしていた北カリフォルニアの山の中でだった。
あの緑に触れ、
包まれ、
溶けこんでいた日々がなければ、私の心の病はもっと長引いたに違いない。
人生の中で人は様々な岐路に立たされる。
悲しみに打ちひしがれて、
それでもなお、人々は表面では何事もなかったかのように振る舞い、そして、日常を心を亡くして生きるすべを身につけていくこともできる。
私は意図せず、自然の流れで山暮らしをするようになったが、それはとても幸運なことだった。大自然が見守る中で、私は、悲しみをきちんと悲しむことができたのだから。
それでも、山を下りて、町で暮らし始めても、
必要であれば、木々の緑に沈み、
海の青に一日中溶けて、
砂漠の茶色を歩いてみる。
それが一番の、自分の心とカラダへのギフト。
その緑は、
青は、
茶色は、
私たちの奥の奥にある、静寂を、
限りない受容を、
それから安堵を、
映し出す。
もう、それが、緑や、青や、茶色のものなのか、私のものなのか、分からないほどに。
どんな姿をした人生の局面さえ、
はじめはそれに対してあがくことしかできなくても、
ついには、ただありのままを受容する自らに、
糸をたぐるように、導いてくれる。
エゴとは無関係の自然が、
いつの間にか、絡まった思考を ほどいてくれる。
あるいは、思考のないからっぽさへ。
溢れんばかりの生命エネルギー、
緑の5月。
それに相反して、5月病、と言われるものが世間に存在する。
けれど、
だからこそ、
この季節に、緑がある。
顔をあげれば、空の青がある。
買い物の途中、通勤途中にある木々に、目を留めて、見て欲しい。
ひょっとすると、ある特定の木が、あなたを呼んでいることに気づくかもしれない。
大地に根をしっかり張り、上に伸びていく木々に触れるだけで、私たちは本当に癒される。そして、その生き生きとしたいのちに次第に同調していく。
周りが気にならなければ、木にハグしてみるといい。
心が乾いていればいるほど、木からの氣が、スポンジのように自分に、沁みてくるのを感じるかもしれない。
休みの日には、大樹を見つけて寄りかかって座り、しばらくのんびり過ごしてみよう。
木のように、何ももたず、どこにも行かずに。
大自然は、いつでも私たちに無償で与えてくれる。
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