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日々の暮らしをときめかせる感謝の魔法~お片付けメソッド

クローゼットの中を夏用に入れ替えた時に、改めて断捨離をした。
機会があるごとに、こまめに自分の持ちものを点検するようにしている。

私は ”こんまり”さんの言う、
Spark Joy (スパークジョイーときめき)メソッドに大賛成。

ときめくものだけを手元に置く。
ときめくものだけと、一緒に暮らす。

こう書いてみると、ちょっと眩しすぎる?

でも、子供のようにぴょんぴょん飛び跳ねてしまうようなトキメキもあれば、何年も暮らしを共にしている食器や家具へ感じる愛着、愛おしさという、しみじみとしたトキメキもある。

近藤麻理恵さんの、「毎日がときめく片付けの魔法」は世界40か国で翻訳された、ベストセラー。数年前にアメリカの徹子の部屋とも言われる、The Ellen Showに彼女が出演してからは、「KONMARIする」、と片付けのことをそう表現する人を、私のまわりでも耳にするようになった。

「ときめき」を英語に訳した「Spark Joy」は、流行語にもなった。
ときめきをとことん追及したこんまりさんが、これほどまでに成功を収めたのだから、ときめきの力が連れて来るものって、ほんとにすごい。


*****

数年前に娘の家が、夏のカリフォルニアでは多い、山火事に巻き込まれた。

「大自然が私の家を ”こんまり” しちゃったの」

と、娘は、自身の家が全焼したことを知らせてきた。

「いい機会だから、これからは 私にとってのSpark Joyのものだけ厳選して家を整えていくわ」
と言っていた。

それでも、すべてを失った彼女と彼女の家族のために、たくさんの物資が届けられ(余談だけれど、彼女はそのことにとても感動していた。失った悲しみよりも、多くの人からの親切を受けて、その感動の方が上回っていた。)、日々の暮らしをしていくうちに、再びモノが増えていったと言う。

本当、うかうかしていられないほど、この世界はモノで満ちているものだと、思ったものだ。

だから私は定期的に、気がついた時には、点検する。
クローゼットを、
化粧台の引き出しを、
キッチンのキャビネットを。

それらは、いつも自分の内面を映し出している気がする。

きちんと整頓されているときばかりでない。
乱雑になっていることもある。
何でこんなものが?と思うようなものが紛れていることもある。

そして、ああ、私って今、こんな感じなんだ、と何となく思う。

そしてそれらを整えていく。
そうすることで、自分自身も整えられていくような気がする。

欲しいのは本当はこれじゃないのに。

欲しいものが手に入らない、見つからない時、

そうであっても、今あるものに感謝はできる。
ただ、「あってくれてありがとう」、と。

だって、実際ないと困るわけでしょう?
(困らないものなら、それは手放してしまえばいいのだから。)

そうすると、不思議なことにそのモノの、いいところが見えてくる。
愛おしさが湧いてくるかもしれない。
いいところだってひとつくらいは見つかるはず。
それが「感謝」の魔法。

欲しいものが 今は、手に入らない、
実際は、そういうことの方が多いはず。

でも、欲しいものに執着するより、

今あるものに心を寄せて、感謝する方が、それは私たちの内面の豊かさを育てる。その豊かさがそのうち思いがけず、欲しいものを引き寄せてしまうのだ。


何より感謝の「気持ち」はいつでもどこでもできて、心を穏やかにしてくれる。欠乏のかわりに、満足を与えてくれる。

「これじゃない」から、
「これでいいのだ」。


「毎日がときめく片付けの魔法」、
それは、一緒に暮らしている、自分の持ちモノとの対話と、感謝から始まるのだと思う。


こんまりさんは、著書でこんなことを書いている。


「理想の暮らし」とは、行動なのです。

毎日がときめく片付けの魔法/近藤真理恵

それは、理想の家、理想のキッチン用品や家具、といった物質的なモノではなくて、「行動」。
どんなふうに、自分が一日を過ごしていくかということ、と。

それは、寝る前にアロマをたいたり、お気に入りのクラシック音楽をかけたり、ベッドの横に一輪のお花を飾ったりして (後略)。

そうすることで、はじめに思い描いいた「理想のおうち」とは違ったところがあっても、「今のおうち」が大好きになるのです。

毎日がときめく片付けの魔法/近藤真理恵

私がこんまりさんを好きなのは、それがただの「お片付けテクニック」ではなくて、自分が一緒に暮らす「モノ」との繋がりを思い出させ、見直させてくれるところ。

その原点があるから、いったん片づけてしまえばリバウンドが起こらない。

すべての持ちモノは、あなたの役に立ちたいと思っています。

そんなモノたちが、もっと心地よい空間で暮らせるために、どうしたらいいか考えてみましょう。

収納を考えることの本質はここにあります。

すべての持ちものを本来あるべき場所に帰してあげる神聖な儀式、それが収納だと私は考えています。

そのために、思いきってモノの気持ちになってみる。

そうすることで、片付けがたんなる収納テクニックではなく、モノとのコミュニケーションを深める行為であることにも気づいてもらえたらなあと願っています。

毎日がときめく片付けの魔法/近藤真理恵

朝、起きて私がするのは、前日の夜に食洗器にかけておいたお皿などを、キャビネットに戻すこと。

つるんとして、ぴかぴかになったそれらを、それぞれの場所に戻してあげることで、起き抜けの私の意識もゆっくりと、まっすぐな中心に戻る感覚がある。

モノを整頓された場所にきちんと帰すと、私はとても安心する。

キャビネットを開けたり、引き出しを引いたりしたときに、あるべきものがそこにきちんとあってくれることに、私は喜び(Spark Joy)を感じる性質なのだ。

こんな途方もなく些細な喜びが、いくつも、いくつも散りばめられた日々の暮らしを、私はとても愛している。


片付けの記事はここでも。


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