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すべてのプロセスを見守る~50代のエイジング


庭のチューリップの球根から、緑の葉が顔を出してきた。
ああ、もうすぐ!
まだまだ外は寒いのに、こうして春の訪れを知らせてくれる自然が愛おしい。

バレンタインデーの前日に、お店のためのバラを買いに出かけたとき、見つけたチューリップを、私は庭のが咲くのを待ちきれずに購入して、家に飾った。

チューリップは、花瓶に飾っても、花が開いてゆくだけでなく、茎がしなやかにあちこちへ、向いていくのを見るのも好き。

だんだんと、その美しさが萎えていく頃に、私はそれらを花瓶から抜き取ろうとして、手を止めた。

以前、娘が家に遊びに来ていたときに、言っていた言葉を思い出したのだ。

花瓶に活けてあった、朽ちていく花を捨てようとする私の手を制して、
「花が完全に終わるまでの全部のプロセスを見守る、っていう方法があるのを知っている?」と。

そのときは、彼女の話を簡単に聞いただけだった。

彼女は、当時、彼女が敬愛する人が主催していたグループ に入っていた。8人から10人の、年齢も職種も、人種も違う女性が集まって、半年間、スピリチュアルからマテリアルまで、様々なことを皆んながシェアして、また、それぞれが学んだようだった。30代に入ったばかりの娘は、このサークルの中では一番若かった。

そのサークルで、娘はこの考え方と出会ったと言っていた。

私は、そのときの彼女の言葉を思い出して、
花のいのちのプロセスを、最後まで見守ってみようと思った。

花は、いつも家にあったのに、そんなことをふと思ったのは何故なんだろう。

それは、私が年を重ねて、もう以前のような、みずみずしい肌ではなくなってきていることを、この日常で受け止め始めていることと関係あるだろうか?

ずいぶん前に、年上の知り合いが、エイジングは大変。それを受け入れることは大変なことなの、と話していた。

私はその人が大好きだったので、その彼女の言葉が、自分のものになってしまわないように、その言葉と一体化しないように見守った。

エイジングは一晩でやってくるものではないから、だから、私のカラダも、ココロも、静かに静かにそれを受け止めてきた。
まるで、それは大したことではないように。

実際、大変なことなのか、そうでないのかは、相対的で、自分の心の持ち次第だと思っているので、
私は、抗いても仕方ないことを「大変だ」とまつり上げることはしないようにしている。


私は、今まで体験したことのない、カラダの変化、

更年期のせいか、なかなか戻らない体重の増加や、
肌や手、首の皺や、ドライになった髪の毛や、
鏡に映るシミ、
見えづらくなった、本の文字、


そういったものによって、自分のカラダを見直している。

10年、20年前とは明らかに違う、カラダを体験しているのだ。

そんなときに、
この、花の朽ちるまでのプロセスを見守っていくという、アイデアを思い出したのは、自然なことだっただろう。


それを思い出したとたん、
心が緩やかに広がっていくようだった。

包み込み、

拡張、

受容、

緩やかさ、

一瞬のきらめきと、積み重ねてきた時間の尊さが、同時にやってきた。


花が咲き、朽ちていくまでのプロセスを 完全に見守り、それを受け入れ、その花のいのちに感謝する。

花が好きで、いつも家に飾ってあったけれど、そんなことをするのは初めてだった。

枯れた花は、部屋の波動を下げると私は信じていた。


けれど、この花の全体のプロセスを見守ることは、
これから先も、生きている限り続く、自分の肉体の変化を受け入れるきっかけに、確実になっているだろう、と気づいた。

私は受け入れ、その時、その時に、そこに現れてくるものが、どんなものであれ、感謝して生きていくんだろう、と思う。

感謝できない日があっても、そんな自分を受け入れるだろう。

受け入れられない日があっても、
きっと
誰かが、
「大丈夫だよ」
と、やさしく言ってくれるだろう。

このチューリップは、なんて美しいのだろう。

今もなお。

「そして最後はコンポーストにして、土に返すんだよ」、
娘は言った。

そう、

私たちの肉体も、
いつか、
土に還る。

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