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私が心から敬意を持つ人。

ある日、夜の営業時間が終わったあとで、ダイニングスタッフの一人が、話があると言ってきた。

今日、彼女は、お客様とのちょっとしたトラブルがあった。
そのことで何か話したいのだと思った。

驚いたことに、彼女が話したかったのは、そのお客様のことではなく、私のそのときの、彼女への対応についてだった。

「私はナオコ(私のこと)の態度に、とても傷ついたの」
まっすぐに、私の目を見て彼女はそう言った。

そう聞いて、私はその夜に起こったこと、
そのときに、私が咄嗟にとった態度を、はじめてゆっくりと振り返ってみた。
営業中は忙しくて、どんなことが起こってもそこに留まらず、対処したあとは前へ進んでいくしかなかったから。

そして、私はあの時、自分が何を感じていたのかに気が付いた。

私は、とても、とても、がっかりしていたのだ。

誰に?

そのお客様に。

今は閉めたけれど、この町で小さな、洒落たワインバーを経営していた、穏やかで、優しい印象の男性。

私がこの店を始めてから、この20年間、たびたびではないけれど、来店してくれている。
その彼が、まだ20代の若い彼女に正当性を欠く態度をとったとは、私にはすぐには信じられなかったのだ。

現場を見ていなかった私は、そばにいた、他のスタッフに尋ねた。

「あなたはそれを見たの?」

その問いかけが、彼女を傷つけた。
ナオコは、私のことを信じていないのね、と。

私は日頃から、基本的にスタッフのサイドに立つようにしているし、彼らを疑うこともない。(そもそも疑いたくなるような人は雇っていない)。

けれど、彼女は、その素晴らしい働きぶりには似合わず、
「あのお客さんって、意地悪なの」、
と子供のように、簡単に口に出すところがあった。
それが彼女の印象として、私のどこかに残っていたのだろう。

様々なお客様がいるし、ひとりの人が一日のうちに、意地悪であったり、優しかったりする。

相手がどんなムードであろうとも、それは自分には関係のないことで、私たちは私たちの仕事をするだけなんだ、
とそれを日々実践しているスタッフがいるけれど、若いのに、すごい境地だと感心する。

誰もがそう簡単には、それを実践できないかもしれないけれど、お客様商売であれば、ことさら必要なスキルであることは確かだ。

さて、「あのお客さん、意地悪なの」と口を尖らせる彼女と、彼女に暴言を吐いたという男性、(私の印象ではジェントルマンの彼)、その二人の印象が、とっさに私の脳内で衝突した。

店のオーナーである私へと、スタッフへでは、人々の対応は違うよ、とは周りの人からも言われる。
それにしても彼が、昭和のオヤジのように、彼女を扱ったというのは、私にはとっさには受け入れ難かったのだ。
そして、私に湧いてきた、彼寄りの感情、そこから現れた私の態度を彼女は見逃さなかった。



営業時間の終えた、静かなダイニングルームで、私たちは向き合っていた。
彼女の私への訴えの後で、
私たちは沈黙した。

私がやっと、私は彼に対してがっかりしていたのだ、ということを突き止めて、私は口を開いて、心から彼女に謝った。
彼女を傷つけてしまったことに。

これは私の問題だったのだと。

起こった事実に、自分の印象をひっつけて、感情的に判断していた。
こんなにシンプルな出来事だったのに。

そして、彼女が正直に私に話してくれたことにも、感謝した。


実際のところ、私が前回叱られたのはいつだっただろう?

私はお店のオーナーという立場で、年は重ねてきたし、周りの友人も、家族も、何であろうと、私を受け入れてくれる心の広い人に囲まれて暮らしている。

それは本当に幸せなことだ。

だからこそ私は、自身がどんな時にも、開かれていて、素直であるようにと願っている。


「私、何でも言わなくちゃ気がすまない性質なの。それを嫌がる人もいるけど、結局、良かったね、って最後にはなると思ってる。そしてそれが、私なのよ。」
彼女はそう言った。

今、私の中での彼女は、自分自身を真に愛する戦士のようだ。

うやむやにすることなく、自分のために立ち上がって、ちゃんと物を言う。
それが自分のボスであろうと。

そんな彼女に、私は心から敬意を払う。

そして、とても嬉しい気持ちにもなる。
私は、自分を大切にしている人を見るのが大好きなのだ。

私自身への反省としては、自分の持つ、人への印象に頼り過ぎない、ということだ。
印象によって、私はその人を、私の中で縛り付けることになる。
知らず知らずのうちに、自分で決めつけた型の中に相手をはめている。
そして、印象と違うことをされると、その日の私のように「そんな筈はない!」と動揺してしまうのだ。

いつも、いつも新しい気持ちで相手に向き合うことができれば、どんなに自由だろう。
自分も、相手も。

途切れることのない、新鮮な瞬間の中では、あらゆる可能性が潜んでいる。そこで、私たちは自分の瞳に何を見る?

きっと、何とも関係性を持たない、すっきりとした事実だけが目の前に現れてくるだろう。
それが真実だ。

彼女が正直であってくれたお陰で、私は改めて、大切なことに立ち戻れる機会を貰ったように思う。
自分に素直であることは、まわりにも恩恵を与えるものなのだ。



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