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自分の真実の声と、マインドの声はどう違う?

先日、友人が遊びに来た時に、彼女がこう尋ねてきた。

私がいつも、自分の心に正直に生きていたいと思っているのは知っているでしょう? 
やりたくないことはやらないし、だから、会う約束をしている友達とも、気が変わってドタキャンしちゃうこともあるの。
そうしたら「もう友達でいられない」ってある人から言われちゃって。それでも、私は行きたくない場所に無理して行って、自分のことを嫌な気持ちにさせたくないのね。だから仕方ないな、って思ったんだけど、どう思う?

彼女とは10年来の深いおつきあい。

お互いセルフラブに磨きをかけながらインスパイアしあってきた。

彼女を見ていたら、彼女が自分を大切にして生きるレベルが どんどん上がっているのがよくわかる。

自分を居心地よくさせてあげることに心を注ぎ、一緒に暮らしているモノや、スペースを大切にし、どんなことがあっても、人生を楽しむことを忘れない。
自分の仕事が大好きで、彼女の暮らしには彼女の好きなものや、人、出来事がますます溢れてきた。自分の好きなものを愛し、素直で、遊び好き。私たちは本当に一緒によく笑う。

楽しいことだけでなく、悲しい出来事や辛い出来事も、それらを静かに受け入れて、同じ目線で話せる友人がいるって、ほんとに素晴らしい。

自分を愛する人は ある意味ストイックだ。自分が本当に見えていない人なら、あれもこれもと集めてしまうところを、自分の好きなもの以外は見向きもしないのだから。

だから 彼女の 最近ドタキャンしたくなる状況が増えてきたというのは、彼女の交友関係がシンプルになっていくということなのかな・・・

けれど私は自分の話をした。

私もね、ドタキャンしたくなること、あるよ。
でも、私の場合は、そういうときの声は無視するの。
なんとなくそれが、自分のホントの声じゃない気がするから。

だって、それでも行ってみると「あれ、楽しかったじゃん!行って良かった」ってなる経験がこれまでたくさんあったの。それどころか、新しい発見や、わくわくすることもあったりするのよ。

それに、心の声って、それは要するにマインドだから。マインドは「現状否定」が大好き、「やっぱり、やめた」とか「でも、行きたくない」とか言うんだよ。「やっぱり」や「でも」っていう枕詞にはご注意だね(笑)

私の言葉に友人は、

そうか、自分の声がどこから出てきているのか、それを見分けなきゃいけないんだね、


と、頷いてくれたけど、

私だって思う。

それってどう見分け(聞き分け)るの? 

コトバでは説明できない何かが そこにはある。

去年の秋、私にとってとても辛い出来事があった。

なのに、シフトを変われる人がいなくて 私は仕方なくお店に足を運んだ。そしてお店のマネージャーに会った時、私は思わず号泣してしまった。
彼は、今日は店の規模を半分にして営業をするからと、私に帰るように言った。「僕たちには、いつも自分を大切にするように、って言ってるじゃないか。今は自分を大切にする時だ。今日は家に帰ったほうがいい」と。

家に帰りたいと思っている私は、同時に店を半分だけ開けるという選択も嫌だった。寒い中、わざわざ足を運んでくれるお客さんを、こちらの都合でお断りしたくない。それは「誰かの為」ではなく、「私の為」の、心からの望みで、その時はゆずることができなかった。

帰りたい、でも店をいつも通り開けたい、

そんなごちゃごちゃした思いを振り切って、やると決めた。もう店に来ているのだし、それが答えかもしれなかった。

そして店に出た。お客様の顔を見て、身体を動かしているうち、いつの間にか私はゾーンに入っていた。

別世界だった。

いつも通りの接客が流れるようにできていた。
そこには私の体験した辛い過去はなく、その瞬間だけが生き生きと存在していただけだった。
仕事中、悲しみの波動は私のどこを探しても存在していなかった。ただただ、いつものようにお客様の笑顔を期待して行動している、純粋な自分がいるだけだった。

営業が終わり、足早に家に戻った後には、悲しみが蘇ってきたけれど、その日に体験したことは、私に素晴らしい境地を体験させてくれた。

「今ここに生きる」という言葉さえ必要のない世界。
私たちはどんな過去からも自由になれるのだということを。

これが不確実性に飛び込むということなんだろうか。
仕事に入ることで、自分がどうなってしまうのかわからなかった。あの時、家に戻るのは簡単なことだったし、自分を大切にするために必要だったと言うこともできた。けれど、私はお店で働くことを選んだ。

私はあの時の体験で、自分がどんなにこの仕事を愛し、仕事のほうでも私を愛していてくれているのを知った。こんなにも簡単に、過去から自由になって、この「瞬間」にいられることが信じられなかった。どんな出来事も、私をこの「今」から引き離すことはできないと、垣間見せてくれたミラクルだった。

こんなふうに、私の真実の声は現れた。それは行動してみなければわからなかった。「自分を大切にするために」家に戻っていては知りえないことだったろう。

何が食べたいのか、
誰と一緒に過ごしたいのか、
何をして過ごしたいのか。

小さなことでも意識的に選択していくのはとても大切。でなければ、無意識に選択してしまった、自分が本当には望まないものを経験してしまうことになる。
それらを我慢して、妥協してやり過ごせば、ますますそういった物事を引き寄せてしまうことになるのだから。

だから友人がドタキャンをしてしまうのも、彼女にとっては正解かもしれない。
彼女が「自分を嫌な気持ちにさせたくない」って言うのを聞いて、それが私にはとても心地良かった。世の中には、人を嫌な気持ちにしたくなくて、自分を嫌な気持ちにさせてしまっている人がまだまだ多いように思える。

私たちの行動は、喜びから生まれるようにできているのに。

次に会った時、私の友人はどんな話を聞かせてくれるだろう?

正解は誰に聞いても辿り着けはしない、
それよりも、私はあなたが、何を選んだのかを知りたい。

自分のために。



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