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腐らないもの、死なないもの。

noteを始めてもうじき1年になるけれど、
私はその間に、ひとつ、夢を叶えたことに気が付いた。

それは、「腐らないもの」を扱う商売をしてみたい、という夢、というか、憧れだった。

私はレストランを経営しているから、当然、、扱うものは食材。

食材は腐るから、食材を無駄にしないよう、ちゃんと回せるように、計画し、予測し、工夫する。けれど、どんなに気を使っても、食材が腐ることもあれば、消費期限や賞味期限を過ぎたりすることは、避けられず、そうなると、とても悲しい。


以前、私の店の隣は、リサイクルだけど、お洒落な服を扱うブティックだった。その名も「アンコール」。
時々そこで、店主とお喋りして時間を過ごした。その時に、つくづく彼女の仕事は素敵だな~と、うっとりした。

だって、扱う商品が腐らない。

それは私には、とても魅力的だった。まるで悠久の時の中にいる感覚を、彼女の店で感じて、リラックスした。

次にもし、商売を始めるのなら、「腐らない」ものを扱う商売をしたい、そう憧れていた。

それが、noteをはじめてから気づいたのは、
私がnoteにあげた記事は、一度書いたら、ずっと残って、それを人々が読んでくれるんだ、ということ。

これって、腐らない商売じゃない?

もちろん、お金は動かないけれど、「スキ」や、「フォロー」には、私にとって、同等の価値がある。
数か月も前に書いた文章に、いまだに「スキ」がつくと、感動する。私の文章は、こうして今だに働いてくれているんだね。


そんなことを考えて喜んでいると、
小さい頃、私は「死なない」ものに、なりたいと切望していたことを、なぜだか思い出した。


小学校2年生で、初めての「死」に遭遇した。


優しかった祖父が、棺桶の中で動かなくなっているのを見たときは、悲しみよりも、ただただ、怖かった。

祖母や、母や、叔母が、ヒステリックなほどに、泣いているのにも目を見張った。

葬儀屋の男性が、「おじいちゃんに、お花をあげようね」、と、一本の白い大輪の菊を持たせてくれたけれど、私は、それを誰にも気づかれないように、棺桶に投げ入れた。

「死」という、突然目の前に現れたものが怖くて、祖父のそばに行くことができなかったから。

その日から、私は、次に生まれ変わったら「死なないもの」になろう、と考えた。そして、世の中にある、死なないものを探し始めたのだった。

まわりにある、あらゆるものを観察して、それは「死なないか、どうか」を検証した。けれど、もちろん、見つからない。どんなものも、死ぬし、壊れるし、腐る。そういうことを、逆に学んだ。

けれど、「死なないもの」を諦められずにいたある日、家の居間に寝転がって、天井の模様を見ていた。

母の嫁入り道具である、箪笥に目がいった。

5歳離れた、私の兄が生まれる前を遡って、母が嫁いできたときから、その頑丈な箪笥はあったらしい。

母は、この箪笥をとても大切にしていた。一生使うのだと言って。

そして、私は、この箪笥は、母がこの世からいなくなったとしても、(そんなことを考えるのも怖かったが。)それでも存在し続けるだろうと、その時に確信した。箪笥は死なないのだ、と。

そうだ、
私は生まれ変わったら「箪笥」になるのだ、そう真剣に決めた。

そして、死なないものを見つけられことへの安堵と、「死」という重荷から解放された気分で、清々しささえ感じていた。

なんとまあ、小学2年生だった私の頭の中は、いったいどうなっていたのだろう?

今、思い返しても不思議で仕方ない。箪笥になるという発想に!

けれど、8歳だった私は、自分の人生に、祖父を通して現れた「死」への恐怖をどうにかしなければ、生きていけそうになかった。不安で仕方なかったのだ。そして、誰にも、その恐怖を話す術も、当時の私にはなかったのだった。

箪笥になる、と決めたときのことを、今でも私は覚えている。

そして、その後に目にした光景で、絶望的なショックを感じたことも、
よく、よく、覚えている。

それは・・・、

私の住んでいた町に、少し大きな池があった。
昭和50年代、今では信じられないけれど、そこに夜な夜な、粗大ごみを捨てに行く人が多くいた。
そしてある日、私は、その池に、どこかの家の大きな箪笥が、泥で汚れ、無残な姿で浮いているのを目撃してしまったのだった。

すごい落胆だった。

箪笥よ、あんたも死ぬのかい。
そう呟いた(?)と思う。

それからの私は、死なないものを探すことを諦めて、死について考えることもやめたのだと思う。
それ以降、そういったことで悩んだ記憶がない。

けれど、なるべく早く眠るように心がけたのは覚えている。
母が電気を消して、部屋が暗闇に包まれる前に。

それから、何十年もたって、現在の私は、「腐らないもの」を見つけて喜んでいる。

「腐らないもの」と、「死なないもの」。

私は、昔も、今も、同じものを渇望していたのかもしれない・・・。

それは・・・、

「永遠」。



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