バナナが連れてきてくれたもの
私はバナナが大好きだ。
飲み物以外で、一日の始めに口にするものが、バナナ。
たいていは、そのままで食べているけど、
夏は凍らして、スムージーに入れ、
時にはブランチのワッフルに輪切りにしたものを、たっぷりのせて。
いつからバナナをこんなに食べるようになったんだっけ?
庭に出て、太陽の光を浴びながら、もくもくとバナナを食べながら、ふと思った。
小さい頃は、たまに母が他の果物とのローテーションで、買ってくるだけで、バナナが家にあるのを見ても、さしてわくわくしなかった。
でも、「バナナが一本ありました~」で始まる「とんでったバナナ」の童謡が大好きで、バナナを食べるときには、必ずその歌を歌った。いや、その歌を歌いたくて、バナナを食べていたような気もする。
実家を離れてからは、自分でバナナを買う、ということもなかった。子供ができてからは、離乳食には使ってた。でも末娘はバナナが嫌いだったから、買うこともなかったはず。
いつから毎日食べ始めたのだろう?・・・
そうだ、
バナナダイエットを始めたときからだった、と思い出した。
もう何年も前、体重が増え始め、自分でも身体を重く感じ始めていた。
私はお店で出すおスシが大好きで、毎日のように食べていたのが原因だったろうか。
スシ飯にはたくさんの砂糖が使ってあるし。
お気に入りの服が、どんどん小さくなっていき、クローゼットの隅に押しやられていくのを見て、痩せよう、と決心したんだ。
それで始めたのが、当時、日本の友達から教わったバナナダイエット。
そこから、私とバナナの長い付き合いが始まることになったのだ。
食べてみればバナナは美味しい。
手間いらずで、すぐに食べられるお手軽なバナナ。
栄養価も高くて、満足感もある。
なぜか毎日食べてもちっとも飽きなかった。
そして、これが一番大事なところだけど、私は、少しづつ、痩せていった。
ダイエットに弾みがついた私は、面白くなって、炭水化物抜きのダイエットやローフードなども取り入れた。世の中には様々なダイエットの方法があるものだと知った。
そうするうちに、最後には「一日一食」をダイエット、というより自分の生活スタイルとして、実践するようになった。
ちょうど、仕事が忙しい時期で、昼食を取る時間にも、途切れなく仕事ができればどんなにいいだろう、お腹がすかなければいいのに、と願っていた。当時、「不食」という言葉が認知されはじめていたから、そんなアイデアが私にも降ってきたのもしれない。
一日一食を始めると、時間は増え、暮らしがシンプルになった。人は「食べる」という行為で、その買い物から、準備、調理、食べたあとの片付けと、すごい時間を費やしているのに、改めて気が付いた。
痩せていくに従って、私は自分の身体が、それ自身を主張するのを聞くようになった。
脂肪がどんどん減ってきて、蓄えがなくなってくると、身体は私に、必要なものを教えてくれるようになったのだ。
ある日、お肉はもういい、と食べなくなった。コーヒーもしかり。そんな意図しない、突然の変化が次々と起こった。
そして、その日、自分が「食べたい」と感じるもの(考えるものでなくて)を食べればいいということも分かった。
特別に栄養のことを考えながら、その日のメニューを決めずとも、食べたいものが、私の身体にとって必要なものだった。
新しい友達を見つけたみたいに、私は自分の身体に改めて注目し始めた。
え、このヒト、誰なの?と思うくらいに身体は、「私」ではなかったのだ。
これまで片時も離れることなく、一緒にいたはずなのに、もっともっと親密になっていくような気がして、朝も、夜も、私は自分の身体を抱きしめた。
自分の身体がどんどん軽くなっていくのに伴い、心もどんどん軽やかになっていった。
長かった髪を短くし、お化粧もしなくなった。素のままの自分が心地良かった。
そして身体が欲しがる、ローフードや乳製品を使わない、今までにない、食事メニューの開拓にわくわくして、ていねいにその日の一食を作っていた。
しかし、今度は「痩せすぎ」で周りに心配されるようになってしまった。
一日一食を半年続けたあと、私はバナナダイエットを始めた頃から、15キロ近くも痩せていたのだ。
自分でも、「これ以上痩せていませんように」と祈るように体重計にのっていたのを覚えている。
けれど、身体の軽さがほんとうに心地よくて、文字通りぴょんぴょん飛び跳ねるように暮らしていた。周りの心配とはうらはらに、私は、健康で、エネルギーに満ち溢れている自分自身を、毎日祝福して生きている気分だった。
しかし、私はその年、寒い、寒い、冬を迎えることになる。
脂肪のない身体が、こんなにも寒さを呼ぶとはそれまで知らなかった・・・。
そしてあっけなく、脂肪LOVE、な暮らしに戻りましたとさ、
という、バナナから始まったこのストーリー。
バナナを私は、初め、ダイエットという扉のすぐ向こうに見つけた。
けれど、次第にそれは、私の食生活を大きく変えるものとなり、ついには一日一食の生活スタイルに導いた。私は自分の身体と盟友になり、おかげで毎日をとびきり軽やかに過ごし、それまでとは違うスタイルで、食の創造性を日常にもたらしてくれた。
今、同じように食べているバナナは、今度は私をどこに連れていくのだろう?
数々の出会いと別れがあるように、すべての体験が目の前を通り過ぎていくように、「痩せる」ことや、「一日一食」がもたらしてくれたものは、そのきらめきだけを残して過ぎていった。
あの体験と再び、出会うかもしれないし、出会わないかもしれない。
でも、
今は、今がちょうどいい。
今、ここで食べるバナナに
あの頃のような目的はなく、
私はただ、その味わいを のんびりと味わっている。
それはもう、私をどこへも連れていきはしない。
庭のユーカリの木々が、そろいもそろって、バナナを食べる私を見下ろしていた。
平和だ。
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