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頭の中の声はあなたじゃない

「どうも頭の中で、自分自身になりすまそうとする声がして、話すのを止めようとしないようだ」。
そう気づいたなら、思考を、無意識のうちに「本当の自分」と同一視する習性から目覚めつつある、好ましい兆候です。

「世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルな教え」(原題 Stillness Speaks)で「ニュー・アース」の著者でもある、エックハルト・トールはそう書いています。

マインドの得意技

頭の中の声、マインド (エゴ) にいつの間にか翻弄されていることがあります。

そしてその後でふっと我に返るという瞬間が。

もしくは、そのままそれが頭の中を占拠しつづけるかもしれません。

その場合、私たちはマインドと一体化してしまっているのです。

マインドの言っていることはとてもリアルに感じます。

けれど、その声は実際は「私」ではない、ということに気が付いていますか?

はっと我に返って、そこから一瞬でも離れたときに、本当の「私」が現れています。

けれど、マインドは自己主張が強いので、再びあなたをまた連れ戻してしまうでしょう。

マインドの得意技、知っていますか?

  • 現状否定

  • 比較とジャッジメント

  • 後悔と非難

これらの思考には粘着性と、中毒性があります。ですからいったんこの中に入ると なかなか出て来られなくなってしまいがちなのです。

マインドはそこにいていい

ではどうすれば解放されるのでしょうか。

マインドはそこにいていい。

結論としてはこれです。

マインドを追い出そうとしても勝ち目はありません。

そっとしておきましょう。

ただ、頭の中でお喋りが始まったときに、それが自分ではないことに気づくのです。

そこにどんな時でも戻るのです。

「気づいて」いることで、それは消えていきます。

消えていくまで見ているのです。

雲が空を通り過ぎていくイメージです。空に雲があることを否定する必要はありませんよね。それと同じです。

すると、あれほど頭の中で これ以上ないというほどのリアリティをもって迫っていたものが、だんだんと消えていきます。

気づいた瞬間に消えることもあります。

始めはうまくいかないかもしれません。

これまでずっとマインドと一体となった人生を歩んで来たのです。急には無理かもしれません。

けれどふっと、我に返ることがあります。

その瞬間を捉えます。

そして「これは私じゃない、マインドが喋ってるんだ」

そう自分に教えてあげるのです。

何度でも。

痛みと苦悩は別のもの

私の場合、一撃を与えてくれたのは友人でした。

私は当時、大きな悩みを抱えていてその友人に話を聞いてもらっていました。

沢山の不安を彼女に訴えました。

彼女は私の悩みを頷きながら、時間をかけて聞いてくれました。

そしてその後で一言、こうゆっくりと言ったのです。

「でも、結局のところ、そう言っているのはあなたじゃないでしょ。」

「気づき」の大切さを理解はしていても、マインドの波にさらわれることが多かった当時でした。

けれど、彼女にはっきりとそう言われた時、私の目を覆っていた見えない何かがポロリと外れて真実が明るみになったのです。

私はただ友人に向かって、目を見開いてうなずきました。すべての重荷を下ろしたような、軽やかな気分だけが後に残って、何かを言う必要もありませんでした。

悩みを引き起こした、物事が起こっていたことは事実です。

けれど、その物事から悩みを生み出しているのは紛れもなく私のマインドでした。

その得意とする、
現状否定、
比較とジャッジメント、
後悔と非難、
まさしくそれらすべてによって、私の悩みは構成されてていたのです。

痛みがあっても、それが苦悩の原因になるわけではないと、どこかで読んだことがあります。

それからは徐々にですが、「自分ではないもの」に明確に気づくことが多くなってきました。

マインドの滞在時間が少しずつですが減ってきたのです。

以前は一体化していて、滞在時間100%だったのですから、どれだけ楽に生きられるようになったことでしょう!

悩みを打ち明けた相手が、私にそれを気づかせてくれたことは本当にラッキーでした。

私の方でも、いい加減マインドとのタッグに疲労困憊していて、その世界から離れることに準備ができていました。

タイミングも良かったのです。

どちらでもいい

私はそれまで マインドの世界で喜怒哀楽、一喜一憂する体験を進んで味わっていました。それが生きるということで、それしか選択はないと思っていたのです。

その頃に「それはあなたじゃない」と誰かに言われても 何のことか分からなかったでしょうし、理解したいとも思わなかったでしょう。

ですから、誰彼かまわずに「それはあなたじゃない」と言うのはもちろんやめた方がいいです!

相手の話すことをよく聞いて、そこに共感や思いやりがあれば、自然に相手にかけてあげられる言葉が出てくるものです。

だからどちらでもいいのです。

マインドワールドに入って ジェットコースターを楽しむようにこの世界を味わうか、それとも一歩下がって、その様子を見ているのか。

私たちはどちらでも好きな方を選べるし、気づきがあれば、好きな時にその世界から出入りできます。

それが本当の自由だと思いませんか。

よって、マインドは悪者ではなくて、この世界を楽しむために神様が与えてくれたツールなのですね。

そして、そのツールをもう手放してもいいと感じている人が今はどんどん増えているようです。

リンポチェの瞑想

最後に、チベットのリンポチェの書いた瞑想ガイダンスの要約を紹介します。

ここでもマインドについて、「放っておきなさい、通り過ぎていくままにしていなさい」、と書いてあります。

無言で過ごす、サイレントリトリートに参加した時に手渡されたのですが、9日間のリトリートの間、ずいぶんと助けてもらいました。

瞑想のガイダンス

瞑想は極めてシンプルであるにもかかわらず、沢山の説明や瞑想技法は混乱を招きやすくなっている。

それらをすべて忘れて、静かに座りなさい。
動かずに、リラックスして、何もしようとはしないことです。
どんな考え、感情、概念が湧いてきても放っておきなさい。
それらを掴もうとせず、また操作しようともせずに、通り過ぎていくままにしていなさい。
もしもあなたが、瞑想中に何かをしなければならないと感じるなら、それは逆に瞑想を妨げることになります。
瞑想は 瞑想、それ自体に任せなさい. 
雑念がわきあがっても、それらを通り過ぎさせていくことを覚えれば、雑念はだんだんとゆっくりになり、それらは消えるかもしれない。

そしてその雑念の流れの背後に、瞑想の土台である感覚があることに気づく。
あなたがその内面の対話の背後にある静寂なる場所に繋がったとき、
その場所の気づきを より強くしなさい。
その静寂の中では何もすることはなく、
何かをストップしたり、何かをやらなければならない理由もない。
すべてをあるがままにしておきなさい。

Tarthang Tulku Rinpoche


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