すべてを楽しい思い出に変える錬金術を磨きたい
自分に注意を向けて、自分が何を感じ、考えているのかに敏感になって、
自分で自分を幸せにしようと決心し、
自分がいつも気分よくいられるようにと日々過ごしているうちに
あることに気がついたのです。
自分が様々なことに後悔しながら生きていたことに。
自分を虐待する声
私はもともと楽天家で、小さいころから朗らかな子供だと、周りに言われてきたから、自分でもそうなのかな、と思っていました。
だから、長いあいだ、明るいイメージで自分をおおざっぱに覆っていたふしがあったのでしょうか。
けれど、自分の思考をストーカーしていくうちに、気づいたのです。
「ああ、私、こんなことをあの人に、あの時、言ってしまったんだよな」、とか、
「私はなんであんな対応をしてしまったんだろう」とか、
過去に私がやったことへの、いくつもの小さな罪悪感が日々、私を襲っていたことに。
そんなことは、多かれ少なかれ誰しもあるでしょう。
けれど、何年も前のことが 未だに何度も何度も繰り返されているなんて。
それはまるでサブミナル効果のように、これまで私に気づかれることなく、巧みで、瞬時に去っていく過去からの追っ手のようにも感じました。これまで私の暮らしに、どれだけの影響を与えてきたのでしょう?
さあ、この追っ手を私はどうすればいいのか。
気づいたからには、私はこのまま自分を過去からの追っ手に虐待され続けるわけにはいかないと決心します。
反省は1度でいいし、5年も10年も昔やったことを何度も何度も掘り返しては攻め続けられるなんてひどい話だと、本気で自分をそこから解放してあげたいと思ったのです。
これからの人生、楽しい思い出だけに囲まれて暮らしたい
そんなとき、ある記事に目がとまりました。
ある年配の女性が、これから先の人生、楽しい思い出だけに囲まれて暮らしていきたい、と書いてあるものでした。
それは、楽しかった出来事だけの思い出、というわけではありません。それがどんなにひどい過去の出来事に 思えるものであろうと、その出来事の解釈を、自分の気分の良くなるものに変えていく、ということです。
「あんなことがあったから、今の自分がある」、という感じですね。
「前の彼に振られたけど、お陰で今の彼に出会えた」
「会社をくびになったけど、そのお陰で起業できた」などなど。
けれど、私にとって、自分が過去に辛かったことは、考えようでポジティブに変換することは容易な気がするのですが、自分がまわりにしてきたことはどう転換していけばいいのでしょう?
「もっと親切にすればよかった」、「あんなことを言うべきではなかった」、「私はなんて恥知らずだったの!?」そういった小さな囁きを、次第に私は見逃さず、見守るようになりました。
いつでも自分の味方でいる
幸運にも、今はそれらの言葉を発する追っ手を、逆に私が捉えられるようになりました。自分の思考に気をつけていれば、追っ手は幻想であって、真実ではないと見破ってしまうからです。
私はいつでも、自分の味方でありたいと思います。
例えば私の親友が、後悔していることがあれば、
「あなたはあの時、ベストを尽くしたよ」
と元気づけるように、自分にも同じように言ってあげたいのです。
自分の望みに気づく
これら、過去の自分を責める「声」に気が付いたおかげで、私はその反対側にある、「楽しい思い出だけに囲まれて生きていく」という自分の望みに気がつくことができました。
楽しい思い出だけに囲まれてこの先の人生、生きていきたい。
そんなこと、これまで考えたこともありませんでした。人生には、自分にはコントロールできないことが多くあるからです。
けれど、自分の人生というストーリーを喜劇にするも、悲劇にするも、私たちの捉え方次第なのだということを、前述した女性の記事を読んで思い出しました。
自分を本当に大切にしてあげたいと決心したなら、どんなことも前向きに捉えて、楽しい思い出に変える、錬金術を磨いていきたい、
そして過去、現在、未来、どんな時空に飛んでも、私自身はどんな事柄からも自由で、幸せでいたいと思うのです。
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