わたしのためのことばたち
すこしでもだれかの役に立つものを書こうとしていたら、ほとんどnoteを使わなくなりました。余裕がないんです、自分でいっぱいいっぱい。
なので、一度トライとして、noteを自分のためのメモに使ってみようかな〜と思い立ちました。
これまでそういったメモ類はGoogleドキュメントで誰に見せるでもなく残したりしてきましたが、公開せず書き殴ったままにしておくと、あとから読んだ時に荒削りすぎてよくわからないことが結構ありました。
人に読まれ得る場に文章を置くことは、勢いで彫った木彫りにほんのすこしのやすりをかけておく的なことになり得るかもしれない‥という身勝手な希望も携えつつ、はじめてみようと思います。
これからいくつもそういう投稿をすると思うので、その前説?みたいなことをまとめておくのがこの記事です。
片付けの魔法を、アタマにも
やっておきたいのは整理です。
日々とりとめもなく考えることを整理したいのです。
私の頭の中では、いつでもぐるぐると自動的に考え事が巡っています。
ストレングスファインダーの「内省」資質が高めのひとにはよくあるようです。
日々どんどん自動でたまってゆく思考を、頭の中から一度出してしまわないと、脳のCPU稼働速度が遅くなる感じがします。
一般的な水準と比較して、元々頭が冴えてるタイプの人間ではないにしても、頭の冴えが自分比で普段通り発揮されないのってめちゃくちゃ気持ちが悪いんですよね‥。
なので、頭のCPU負荷を低くするためにも、頭の中に散らかった思考たちを一度ちゃんと出して、残すものはあらためて仕舞っていこうと思いました。
これ、やりたい行為としてはたぶん「片づけ」に近いんだろうなと感じています。収納対象を一度全部出して収納先を再確認し、何らかの基準(役割や必要性など)でもって残すものを決めてゆくっていうプロセスが似てます。
思考についても、書き残す基準はやっぱときめきですね‥!
思考の収納箱(カテゴリー)を作ってみる
片づけにのプロセスにおいて、私がとても楽しんでいる要素に「収納設計」があります。
収納先(場所)と収納対象(モノ)について考える工程です。
まずはモノたちを特定の判断軸で分類するところからはじめ、用途や頻度といった判断基準を洗い出し、どれを優先度高く持ってくると動線がスムーズか、かつ、ごきげんな居心地でいられるか?というのを試行錯誤するのがたまらなく楽しいです。スパークジョイ!
楽しめている理由として、所与の条件が結構大きい構造があると思っています。片づけって、カテゴリー(場所と目的)がある程度限られてるんです。例えば調理器具はキッチン周辺に置くのがいいよね、とかそういうことです。
変数が多すぎるとアタマがフリーズしてしまうので、要素のどっちかは一定の割合で固定されていたほうが認知コスト低くできて、何かをはじめたり楽しいと感じ始めるアイドリング時間が短くて済むんですよね‥
というわけで、今回私が思考を整理するにあたって、主に自分は何について思考したのか?のカテゴリーみたいなのを作っておいたほうがラクかな〜と思いました。
私が主にぼ〜〜っと日々考えたり摂取している情報のカテゴリーはこんな感じ。レイヤーはぐちゃぐちゃです。単にタイトル的な感じです。
以下、いまのところ思いつくカテゴリー(随時更新‥)
すでに言語化されたものに立脚して思考するもの
観点について
これは世界の切り口、切り取り方について考えているイメージです。
わたしは大学で社会学科と英米文学科と教育学科を学んできたのだけど、「社会学」と「文学」と「教育学」は違った「観点」であったなと思っています。
構造について
現象がどのような構造で生きているのか?みたいなものを考えていることが結構あります。
おそらく、構造のパターンを複数認識し類型化して知識?記憶?としてストックしたい欲求があって、だいたい以下3つくらいのことを注意しながら考えごとをしています。
対人手法
対人関係は対組織や対コミュニティも含めて、「人との関係」を円滑に構築・維持する手法。
観点や構造が知識系だったり抽象系にあたるとすると、こっちは技能の言語化や理解って感じで具体に寄ってるかもしれません。
もともとコミュニケーションわりと苦手なタイプなので、対人関係の手法は意識的に考えています。
セルフマネジメント手法
対人関係のじぶん版というか、じぶんの乗りこなし方、みたいなところ。
これは心身ともに。
ひとによっては違うと思うんですが「運が良くなる方法」とかそういった類の情報も、わたしにとっては「対じぶん」系のセルフマネジメント領域です。じぶんがごきげんでいられるのがい〜よね!それでまわりまわって周りにも不機嫌やションボリを撒かないでいられればそれはなおはっぴ〜というかんじ。
美
視覚的な美しさもそうだし、在り方についても。
自分が「美しいな」と感じるときってもはや反応レベルで、迷ったり考えたりすることがありません。だからこそ、どういうものが好きなんだろう?とか、説明可能なようにしたいなぁと思っているところです。
その他
シンプルに知らんこといっぱい知りたいな〜とか興味持ったりもしています。そーゆーのはカテゴライズできないので、その他。
最近は、象形文字と表意文字と表音文字の変遷とかにテンションが上がってしまい、甲骨文字の書籍を買いました。「道」って漢字の成り立ちまじこえーな!とか思いながら読んでいます。
観察を通して気づくもの
(仮説〜経験則、思想レベルまで)
このへん、どう分類していいかいまいちまだ腑に落ちていません。
着眼点、認知のフィルター、解釈傾向とか思考のクセとか、動機やベクトルなんかですかね。
おそらく観察力があんまりないので、このへんが要素分解できてないんだろうなぁと思います。
思考の外にある世界
こうやって書き出してみると、
あんまり「政治」「経済」「法律」「音楽」とかのカテゴリーについてあんまり普段から意識していないんだな〜と思いました。
てか他にもあるだろって思いますが、それらは認知すらされていないのけっこうやばいですね。
あと、「戦争」系は意識的にここに書きません。たぶん。
考えることもあるし本も読みますが、戦争系は思想とセットになることが多いし、感情や排除の力学が向きやすいので、書きません。
書き残し方
かなりTwitterアクティブ勢なので、Twitterでてきと〜につぶやいたことを掘ってみたり、気になったトピックが一定まとまってきたら書こうと思います。
自分のために生きる練習でもある
ここまで書いて、なんであらためてSNSであるnoteで公開するんだろう?ってすさまじく疑問‥と思ったけどそういえばわたしはInstagramもTwitterもこういう使い方をしていました。
だれの役にも立たないし、わたしだけが読者でわたしだけのために更新しているのです。
意味があるとか価値があるとかではなくて、わたしが思った、ということだけでわたしにとってそれはそうなんです。
生き方だとか、じぶんの輪郭だとかについて、迷うことができる時代になってしまったからこそ、じぶんのためにときめいていきたいな〜と思います。
“未来のわたし”に宛てた、今ここに立ち現れては消えてゆく“今のわたし”の遺言みたいなものですね。
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