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甘夏と高校野球

娘が春休みに入ったと同時にコロナに感染してしまい、思いがけず10日間、家族で引きこもり生活を送るはめとなった。

発熱初日と翌日は39度を超えたものの、3日目からは平熱に戻り、体調も、食欲がいつもほどはないくらいで、それでも少食の人くらいにはある。
わが子ながら、あっぱれな体力と健康体だ。

しかも感染が確定したのは、春の選抜高校野球の開幕日だった。
高校野球が始まると、他に何も手がつかないほど夢中で応援する娘にとって、まるで示し合わせたかのようなタイミングである。
自分の部屋でベッドに寝転びながら、スマホの「バーチャル高校野球」で一日中試合を観戦して、それでも親から小言を言われないなんて、なんだか本人の思い通りに事が進んでいるようにすら見える。

もちろん喉がちょっとは痛いというし、終業式も行けなかったし、感染はそりゃ気の毒だけれども、転んでもただでは起きないというか、不運もラッキーに変えてしまうというか……とにかくそんな娘を見ていると、学校の成績はふるわなくたって、笑ってたくましく生きていってくれればそれでいいじゃないか、と思えるのだった。

わたしと夫はといえば、打ち合わせや取材に出かける予定を仕事先に変更してもらったり、わが家で開催しているワークショップや、自宅で受ける取材の日程を延期したり、1、2日は調整に大わらわだったが、それが落ち着いてみれば、執筆もオンライン打ち合わせも、もちろんメールのやりとりも普段通りできるし、わたしはヨガの受講も続けられるし、Voicyの収録だってできるし、とにかく「10日間は外出できない」というだけで、むしろ年明けから平日も週末もなく走り続けてきた3か月に、「ここいらでちょっと休憩入れないと、今年1年もたないよ」と、不意に休暇をいただいたような、そんな気分だった。

なんだかやけに平和で、おだやかな時間。
せわしない日々でずっとかさついていた部分に、やっと水やりができるみたいな。

娘の熱が下がった日曜日、わたしはヨガのレッスンの復習や、ヨガ関連の本を読みながらの勉強に取り組み、合間に、甘夏の皮のジャムづくりにとりかかった。

甘夏の皮は渋みがあるので、わたをできるだけとりのぞき、数回ゆでこぼして渋抜きをしなくてはならない。
皮だけとっておいて、それをやる余裕が1週間以上なかったから、やっととりかかれたのだった。

とっておいた甘夏の皮は4、5個分はあって、それだけの量だと、まずわたをとりのぞくのも一仕事である。
リビングのテレビで高校野球をつけて、横目でチラチラと試合を見つつ、耳はずっと熱い実況と解説を聞きながら、もくもくと手を動かす。
その日は熱戦続きで、高校野球はこうでなくちゃ、という好試合ばかりだった。

仕事が一段落した夫もリビングに降りてきて、テレビの前に座って試合を応援し、2階の娘の部屋からは、元気な歓声が聞こえてくる。
おもしろいのが、配信はテレビの映像よりも少し遅れるため、わたしたちがリビングでテレビに向かって「あーっ!!!」と声を出した数十秒後に、娘の「キャーッ!」という声が聞こえてくること。まるで間の抜けたやまびこみたいに。
いつのまにか、試合で何か起きると、二人して耳をそば立てて、娘の声が2階から聞こえてくるのを待つようになった。

甘夏のジャムはおいしくできあがり、その日は夕食後も、新しい甘夏をまた3個分、まとめてむいた。
娘に食べたいものはあるかとリクエストを聞いたら、「フルーツが食べたい」と返ってきたので、明日の朝食に出してあげようと思いながら、またもくもくとむいた。

甘夏の皮は、むくのがちょっと手間だから、冬の間はみかんを1日3個以上食べたがる娘も、自分からは手を出さない。
でも誰かにむいてもらえるなら、食べたいはずなのだ。
ふだんはなかなか余裕がないわたしも、こういうときくらいは、薄皮までむいて出してあげようという気になった。

わたしと娘はそろってフルーツ好きで、小学校に上がる前に何度か行った海外旅行では、現地の市場でフルーツを買い込み、ホテルの部屋で食べるのが母娘の楽しみだった。そんな写真がたくさん残っている。

2017年に行ったシアトルで
2018年に行ったメルボルンで

中学生ともなると長期の海外旅行もままならなくて、あのころ行っておいてよかったな、と思う。
旅行どころか、最近は3人でライブに行こうよと誘っても「パパとママお二人でどうぞ。わたしはいいや」という返事が返ってくることも多い。
まぁ、それもそうか、とあっさり引き下がるわたしたち。

でも、一つ屋根の下、部屋は分かれていても、そして一人はコロナ感染者でも、3人で高校野球を応援し、キッチンから家じゅうに広がっていく甘夏のジャムの匂いをかいでいる。

これが、今のわたしたち家族のかたちなのだ。

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