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中学受験と国語

娘の入試が始まった。

複数の学校を併願する中学受験の場合、入試の期間は最長で約1カ月に渡る。わが家の場合、早ければ今月中、場合によっては2月上旬までかかる見通しだが、さてここからどんな展開が待ち受けているやら。
でも、もうここまできたらなるようにしかならないわと、心がグラグラに揺れていた秋にくらべたら、今は精神的にだいぶ落ち着いているかもしれない。

このnoteにも何度も書いてきたように、わが娘の中学受験は、つくづく大変だった。
もちろん、客観的に見てどうなのかは、わからない。もしこの経験が初めてじゃなかったら、知識と心がまえがあるおかげでそう大変に感じなかったかもしれない(実際わたしの姉も次女の中学受験のときは長女のときとくらべてずいぶん余裕があるように見えた)。

だからこの大変さは、これまで大した苦労やトラブルもなく、のほほんと平和に過ごしてきたわが家にとって、という意味だ。
わたしはこれまで48年間生きてきて、こんなにもジタバタしたことがあっただろうかというくらいにジタバタしたし、自分が知らなかった自分のイヤな面や未熟な面にもうんざりするほど向き合わされた。
そして当たり前だけれど、親子とはいえ娘は自分とまったく別の人間であることを痛感させられた。
毎日一緒に暮らしていても、この受験を経験するまでわたしたちが知らなかった、または気づいていなかった娘の個性は、いいところも厄介なところも、たくさんたくさんあった。

大人が解いてもおもしろい科目

塾に任せきりとはいかなかったわが家の受験勉強において、家庭学習ではおそらく無駄なこともいっぱいやったのだろうと今になって思う。それでも、わたし自身の人生経験として「これはやってよかったな」と思っているのが、中学入試の国語の問題を自分で解いてみることだった。
志望校の過去問は10年以上分、それを含めて何回分の入試問題をこの半年間で解いただろうか。

更年期vs反抗期の母娘が肩を並べて勉強するとなれば、ときには一触即発のヒリヒリムードにもなり、その空気にいたたまれなくなった夫が二階へ避難することもあった。でも国語に関しては、わたしも娘もお互い好きな科目ということもあって、出題文についての感想を語り合うなどして楽しかった。
娘はわたしの解説を素直に聞いてくれて、「国語一科目入試なんて学校があったらママはけっこう難関中も狙えたかもね」なんていじらしいことを言ってくれる日もあった(こんなコメントひとつにも、娘は受験の当事者が自分だけでなく、わたしもそうであると考えていた様子が伺える)。

具体的にやっていたことは、ただ娘が国語の問題を解いている間に、自分も別の部屋で制限時間内に解いてみる、ただそれだけだが、これをやることで各学校の問題のボリューム感がわかり、時間配分の作戦を後でいっしょに立てやすい。また、娘は国語が得意に見えて実は選択問題を落としがちであることや、意外と語句の知識が甘いことなど、採点をしながら弱点を見つけやすかった。
そしてなにより、出題文として起用されている文章がたいていおもしろいため、純粋に好奇心がそそられたのだった。

中学受験本にもよく書いてあることだが、国語の問題を読むと、「その学校が大切にしている道徳」を知ることができる。
学校説明会やパンフレットに書いてある教育理念とはまた違う角度から、その学校の精神のようなものに触れられる、そんな感覚があるのだ。
だからわたしは、立地とか偏差値とか諸々の条件から志望校に浮かび上がってきた学校は、最終的に国語の問題を解いてみて「よさそうだな」という印象を固めることにしていた。

受験生の母としての願い

ときどき残念だったのは、過去問を解いていると「著作権の都合上、問題文の文章を掲載できませんでした」ということわり書きを目にすることだった。実はわたしのエッセイも入試問題に使っていただいたことがあるのだが、

たしかに、過去問題集を制作する出版社数社から掲載許諾の依頼をメールでいただく際、文章の掲載を断るという選択肢も提示される。
わたしとしてはとっても光栄なことであり、断る理由などないわ、と二つ返事でOKを出させていただいたのだけれど、逆に掲載を断るというのは、なぜなのだろうか。
もちろん書き手の著作権は必ず尊重されるべきもので、だから問題文の最後には出典が例外なく明記されている。そして過去問題集に掲載される場合は、金額内容はともかく作品使用料の支払いについての申し出が各出版社からきちんとある。

それでも「掲載不可」という事態が起こるのは、筆者もしくは出版社が掲載を許諾しないという判断を下したことがほとんどだろう。
「使用料が安すぎる」など、断る理由はあるはずだが、ただ受験生の母としては、志望校の過去問1回分にいざ挑もうとして、そのとき国語の問題だけが完全な状態で掲載されていないという事態にでくわすたびに「なんで!」と舌打ちするような気持ちだった(すみません、でも受験生の母とはキレやすい生きものなのです)。
この経験から、少なくとも自分は、今後また書いた文章を入試問題として使用していただける機会があったときは、過去問題集への掲載を簡単に断るようなことはすまいと心に誓った。

ま、それはいいとして。
昨年から、コロナ禍による学校や塾の休校、志望校選びの基準となるイベントの中止、説明会もオンラインで学校に直接足を運ぶ機会がないといった苦境をたくましく乗り越えてきたすべての受験生たちの物語が、いよいよクライマックスを迎えるのだ。

できることなら、全部がハッピーエンドだったらいい。
いやきっと、長い目で見れば、どんな結果もハッピーエンドだよ、と自分に言い聞かせ、最終決戦の日々を、なんとか一日一日、生き延びてゆこうと思います。

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