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大人がおしゃれに悩むのは人として成長した証

人生とは不思議なもので、10年前に自分の中では一旦、ファッション編集者という仕事に区切りをつけたはずが、ここ最近また、ファッションについて語る機会が増えている。

20代から15年以上、仕事のメインだったファッションの編集という仕事が、東日本大震災と郊外への引っ越しを機に、自分が残りの一生をかけてでもやりつづけていきたいものではない、と気づいた。

そこから、著作の執筆活動をメインにはたらいていく方向へと舵を切ったのだが、そのシフトチェンジから10年が経ち、気づけば、Voicyや自分の本でも、おしゃれの楽しさと悩ましさについて嬉々として語っているわたしがいる。

仕事云々は別にして、やっぱりわたしは、おしゃれが好きなのだ。
春になれば新しい服がほしいし、新しい服に袖を通せば気分が高揚する。
その浮き立つ気持ちで街へ出かけたり、誰かに会いたくなったりする。

おしゃれは年令を重ねるほどむずかしくなるというのは、誰もが感じることだし、わたしも無意識にそういうことを言ったり、書いたりしている。

でも実は、それだけじゃない。
おもしろさもやりがいも、若い頃より増すことを語っている人は少ないかもしれない。

だからわたしが書こうと思う。
大人のおしゃれのむずかしさと、そのぶんの味わい深さについてを。

「これが着たい」だけじゃない


大人がおしゃれに悩むのは、客観的な視点を身につけたり、周囲への配慮が自然にできるようになるから、なんだと思う。
だって、どんなTPOでも、自分が好きな服だけ着ると決めていれば、それが周囲にもたらす影響など気にせず、悩むこともないのだから。

おしゃれに悩むわたしたちは、加齢によって肉体が変化したせいばかりではなく、若い頃より人として成長しているってことなのだ。

「わたしはこれが着たい」だけで服を選んで着ていたあのころより、自分を客観視して、周囲にも目と気を配って、「本当にそれでいい?」「今から出かける場所で、その装いが自分を、周囲を、気持ちよくさせられる?」と一瞬立ち止まって問い直す、その賢さを身につけたからなのだ。

仕事も、暮らしも、おしゃれも、わたしのなかですべてはつながっている。
今は、自分ばかりが楽しいのではなくて、自分が関わる人たちもみんなで楽しくなれたらいいな、と、仕事でも暮らしでも思う。だからおしゃれにも同じ思考がはたらく。

場に合わない装いはしたくないし、かといって地味で無難で沈んでしまうような装いもつまらない。
願わくば、会った相手が何かしらハッとしてくれたり、そこから会話のきっかけが生まれたり、そのおしゃべりが場を楽しくしたり。そんな装いができたらいい。

そうした視点をもっておしゃれと向き合う日がくるなんて、若い頃は想像もしなかった。
どこのブランドの服を着るか、その服がデザインとして印象的か、選ぶ基準はそこだった。

でも今は違う。自分というキャラクターを魅力的に引き立ててくれて、その服を着たわたしを目にした人が、なんらかポジティブな気持ちになってくれる服であったら、それでいい。

もちろん、それでも、大人のおしゃれは悩ましい。
でも悩むことは、ネガティブなことばかりじゃない。

人として成長した自分に誇りをもって、あらたな目で服を選びなおし、おしゃれと向き合ってゆこう。

*最新刊『すこやかなほうへ 今とこれからの暮らし方』(集英社)、おかげさまで重版となりました。
この本にも、「40代後半からのおしゃれ観」というエッセイを収録し、共感のお声を多数いただいています。


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