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とある男に助けられ

先日、ネットで流れてきてなにげなく読んだ記事に、驚いた。
われわれ親子が幾度も助けられてきたあのYoutuber講師は、こんなにも熱い志を持つ人だったのか!と。

たてつづけに、夫が録画していた情熱大陸に登場していて、またびっくり。上の記事は、テレビ放送に合わせてのものだったと気づく。

うちの受験勉強は、基本的には集団塾の授業をベースに、家庭学習の部分でわたしがフォローに入るかたちで娘の勉強に伴走している。

われわれ親子が葉一さんの動画にとくにお世話になったのは、小4から小5にかけての時期。塾には通い始めたものの、算数に関しては学校の勉強でも基礎に穴が見つかりがちだったため、そうした単元をわたしが見つけたときは、すぐにYoutubeでわかりやすい動画を探し、娘に見せて補習するようにしてきた。

動画を探すのは、娘が学校に行っている日中、自分の仕事の合間。
たとえば立体図形のところでつまづき、展開図が正確に描けない、なんてときは、Youtubeの検索欄に「小4 図形 展開図」などと打ち込んでみる。すると必ずヒットするのが、『とある男が授業をしてみた』なのである。
解説動画1回分の時間もだいたい10分〜15分程度とほどよい短さで、なにより見やすく、とっつきやすそうなホワイトボードの板書のインパクトがすごい。再生してみると、「おー、これはわかりやすい!これを見れば、わが子は展開図の悩みから脱することができるはず!」と娘の帰宅が待ち遠しかったくらいだ。

「伝わる秘密」はやっぱりあった

そんな葉一さん、番組のなかでこう語っていた。
「配信を始めた8年前はYoutube黎明期だったこともあって、かなり批判されました。いちばん多かったのは『偽善者』って言葉ですね。あとは、『銭ゲバ』とか、『教育を汚すな』とか」。
理解ができない。子どもたちにとってわかりやすい授業を無料公開してくれる人が、なぜ偽善者で、教育を汚すことになるのか。

わたしが彼の動画を見て、「これなら娘もすんなり理解できるはず」と保存ボタンを押していたとき、正直、葉一さんがどんな人なのかということにはたいして注意を払っていなかった。

動画には手元と声、後ろ姿が時折ちらっと映るくらいだったし(ところが「イケメン」と紹介されるだけあって実際とてもさわやかなルックスでまた驚いた)、ただ、彼の声と話し方と、手書き文字がきれいに並ぶ板書には、勉強の壁にぶちあたっている子ども(とその親)に寄り添ってくれるあたたかさがあり、それだけはいつも感じていた。
「わかるよ、この単元って実際ちょっと厄介だよね。 でもさ、こうやって考えたり、この公式を覚えちゃいさえすれば、大丈夫。ね、こんなことで算数をキライになったりするなよ!」といったトーンの、明るく導いてくれるような希望の光が、そこにはある。

番組ではそんな動画収録の裏側にも潜入していて、「授業の編集は一切やらないと決めている。それをやるとどんどん機械的になっていくから」「子どもの心を動かすのは先生の熱意だと信じている」と語る葉一さんの言葉に、「伝わってくる秘密はこれだったのか」と大きくうなずいた。

教え上手は技術より熱意

葉一さんの言葉がこんなにも響くのは、ちょうど、夏前から週1回だけ通うことにした娘の個別指導塾を、結局3ヶ月で見切りをつけて退会したことも影響しているかもしれない。

集団塾では思うように成績が上がらず、いよいよ入試が迫ってきた6年生になって、個別指導塾や家庭教師の指導を加える家庭は中学受験生の3割程度とも言われているが、うちも周囲のアドバイスがあり、7月に逡巡しながらもその選択をした。

個別指導の授業料は、集団塾の授業料の何倍もする。そのぶんわかりやすい解説で、マンツーマンでとことんていねいに教えます、というのが売り文句なのだが、最初は新鮮さもあって喜んでいた娘の表情に、どうも授業後の達成感が見受けられないことにやきもきしはじめた。

何度か個別塾の担任にも相談し、講師も若手からベテランに交代してもらった。それで毎回の授業後に感想を聞くと、一応娘は「わかりやすかったよ」と言うのだけれど、なーんか、なーんか、なーんか……モヤモヤが晴れないのだ。感覚的なものなのだけれど、本当にここに通っている意味があるのだろうか(たいしてないんじゃないか)?という疑問がふくらんでいく。

夫も同じことを感じていたようで、「とりあえず1ヶ月休会させ、その間は家でじっくりやってみて、それでいけそうだったらやっぱり個別はやめようか」という話になった。個別塾にその意向を伝えると、これまで常に淡々とした対応だった草食系男子の担任が、やめるかもとなると急に熱心に引き止めてきて、ちょっと引いてしまった。その熱意があるなら、この3ヶ月間もう少しいろいろ試したり、提案したりしてみてほしかった。

ちょうどタイミングを同じくして、集団塾の方の室長が、娘の理数をなんとかしようと5年生の授業に誘ってくれた。

室長は、わたしには「5年生の授業の分はもちろん無料でいい」と言い、気が乗らない様子の娘には「出られるときだけ出るのでもいいから」と言ってくださった。そのとき、わたしの気持ちは「やっぱり娘の受験に個別指導はいらない。最初からお世話になってきたこの集団塾と、動画を使ったわたしの親塾でなんとか乗り切ろう」と固まったのだった。

最後の半年はとくに大変だから覚悟が必要だよ、とは聞いていたし、だから自分からは気が進まなかった中学受験。
「あの学校に行きたい」という娘の無邪気な希望を尊重することからなんとなく始まってしまった、それがわが家のかたちなのだが、もともと親は及び腰、娘の精神的な幼さも思っていた以上だったこともあって、難関校を狙っているわけでもないのに、わたしにとってはこれまで生きてきてこれ以上の試練はあっただろうか、というくらいしんどい日々になってしまった。もちろん、それは娘も同じだろう。

そんなわたしたちにとって、このタイミングでの葉一さんのテレビ登場と彼が語る言葉は、ものすごく励みになった。
父親として息子にかけていた「答えの書き方を間違えたくらいで、苦手なんて思うなよ」というなにげない一言に、受験勉強で見失いがちな、教育と学びの真髄を垣間見た気がした。

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