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メールのむずかしさと大切さを忘れないように

最近、メールがきっかけで、相手に不信感を持ってしまうこと、反対に、この人とはまた会いたいな、そして一緒になにかできたらいいなと思うことの両方を経験した。

興味深いのは、マイナスイメージを持ってしまった相手はいずれも旧知の間柄で、好感をもった相手はいずれも、知り合って間もない人たちであるということ。

旧知の相手は、実際に会って話したことはもちろんあり、とくに話しづらいこともなく、苦手な印象を持っていたわけでもない。
きちんと社会性を備えた立場の人であることも知っている。そして仕事でやりとりするメールも、返信は早いのだ。

なのに、なぜかメールを読んだ後で毎回、心がどんよりとくもるような感覚をおぼえてしまう。文章が読みづらいわけでもないのに。

そんな折、ちょうどNHKの朝の情報番組「あさイチ」でSNSコミュニケーションの特集をやっていて、とても考えさせられる内容だった。
文章の長さや内容の構成、絵文字の有無に、その選び方や使い方。
さらに語尾に「…」がついた文章に対する世代間での感覚の違いなど、テキストでのコミュニケーションにおいて、自分が意図していない伝わり方をして相手に誤解を与えてしまう、なんてことが起こりがちで、はっきりとした正解と不正解がないゆえのむずかしさに、頭を抱えながら観た。

そこで、今回のnoteは、わたし自身、最近メールによって、この人とはもうなるべくやりとりしたくないな、と感じてしまった話について書こうと思う。

個人への批判が目的ではないので、誰かを特定できるようなことは書かないし、本人が読んでも自分のことだとは思わないかもしれない。それでも実体験なので、やはり鍵かけをしたほうが自分の感情に素直に書ける気がして、有料記事とします。

メールの書き方によって相手にこんなふうに思わせてしまう。
それによって人間関係や仕事の継続においてなんらかの損失をする。
その怖さを、このnoteを書くことで、自分自身の胸にしっかり刻んでおこうと思う。
なぜなら、自分も悪気なくやってしまう、やっていることかもしれないのだから。

読みたいと思ってくださる方は、ぜひ読んでくださるとうれしいです。


旧知の間柄だからゆるんだのだろうか


会うのも仕事をするのもはたして何年ぶりだろうか、という相手との間にあった一件だった。

仕事内容としては、最初の打ち合わせの後はすべてメールでやりとりすれば完了するシンプルなものだったのだけど、相手がわたしに送ってくるメールに、なんとなく昔なじみのユルさがいつも漂っていて、それについては最初から、ちょっと気になってはいた。

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