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わたしを支えるお守り

いつからか雑誌の占いページすら素通りするようになり、目の前の生活を回すことに日々あくせくする自分は、わりとリアリストではないか、と思っていた。

けれど最近、「お守りの存在」を肌で感じることが起こった。
自分はなんてお守りを必要としていて、実際、なんてお守りに助けられているのか、身に沁みてわかった。

具体的なことは今ここには書けないのだが、今月に入って、わたしの夫と義母を深く悩ませる出来事があり、夫は夜も眠れないほど苦しんでいた。
それはわたしにとっても「なんとしても払い退けたい災厄」だった。

長く辛かった中学受験がようやく終わって、わが家に平和な春がやってきた矢先に、なんで!という怒りとやるせなさに頭も心も覆い尽くされ、わたしは姉と母と3人でやっているグループLINEに日に何度も悩みを書き連ねて送った。
2人ともすぐに返信を送り返してくれて、心配したり、慰めたり、代わりに怒ってくれたり、励ましたりしてくれた。
そのなかの一通で、母が「早くこの件が収束してくれるように仏壇のおばあちゃんたちによくお願いしておきます。中学受験も終わって今うちの家族に心配事はあまりないわけだから、今度のお願いもきっとよく聞いてくれるでしょう」と書いていた。
それを読んだとき、先月のお墓参りのときの心境を思い出して、すーっと心が落ち着いたのだった。

そうだ、おじいちゃんもおばあちゃんも、亡き義父も義祖母も義叔父も、みんなが空の上から見てくれている。ぜったいにわたしたちを守ってくれていると信じて、負けちゃいけない、と思った。

そんな折、ある日突然なんの連絡もなく、数ヶ月前に修理をお願いしたまま音沙汰がなかったアクセサリーが、デザイナーの方から直接宅配便で届いた。
欠けたパーツを足してもらった修理代の請求書と一緒に、ブランドのショップカードが同封されていて、そこには「オーダーメイドや、古いジュエリーのリフォームの相談もお受けします」と書いてあった。

父から譲り受けた石


ジュエリーのリフォームといえば、昨年、母から譲られた古いジュエリーから石を取り出し、普段使いしやすいデザインにリメイクする(もちろん専門業者に頼んで)ということに初挑戦し、その仕上がりも、リメイクの楽しさ自体も、とても気に入ったのだった。

かつてのように新しいファッションアイテムを毎シーズン買い足すことに、年々慎重になっている今の自分にフィットするおしゃれの方法だと感じて、「今やりたいのはきっとこういうことだ」と思えた。

譲り受けた石を使いながらも新たに生まれ変わったリングとピアスを実家に見せに行くと、母は感心しながらもうれしそうにしていて、それを見た父が「じゃあこれもあげるから、好きなようにしなさい」と、天然石のついたカフスボタンやネクタイピンをいくつかくれた。

父が毎日スーツを着て会社に行っていた時代に、ネクタイやワイシャツのアクセントとして活躍していたそれらの装飾品は、一つ一つ眺めてみると、わたしにとっても子ども時代の記憶が蘇るなつかしいものばかりだった。

そのままありがたくもらってきたものの、すぐにどうにかしようという気は起きなくて、とりあえず引き出しの奥にしまったのが、ちょうど1年前のこと。
それが今、精神的に追い詰められ、どんなお守りにでもすがりたい気持ちになっているタイミングで、偶然「ジュエリーのリフォーム」という言葉を目にした。その瞬間、父から譲り受けた装飾品たちの存在が、ふわっと頭に浮かんだのだった。

引き出しからカフスボタンやネクタイピンをまとめて入れておいた箱を取り出し、久しぶりにふたを開けて、まっさきに目が合った(ような気がした)のが、大粒のオパールのカフスボタンだった。
それはとても不思議な感覚で、手のひらにのせて石の模様をじっと見つめていると、不安でざわついていた気持ちがだんだんと落ち着き、「きっと大丈夫」と思えてきた。

わたしの父は健在だけれども、父を含め、わたしを心配してくれている家族や、亡くなってしまった夫の家族たちまでもが、その石の向こうからエールを送ってくれているような気がしてくる。
これまで関心がなかったパワーストーンの世界について、「石が好きな人ってこういう感覚なのかな」と、少し理解できた気がした。

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1,481字
暮らし・仕事・おしゃれ・健康を題材としたエッセイ(平均2000字)が28本入っています。

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