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叱る愛情は伝わるのか

小学校の学期末保護者会に参加してきた。

今はどこへ出かけるにも感染リスクと隣り合わせだし、そもそも学校の保護者会というものは、参加しなくともとくに支障がないことは、経験からわかっている。

それでも、3学期は入試で欠席する日が多くなることを、担任の先生にスケジュール表を渡しながら伝えておきたかった。
もちろん、これも日程表を娘に託し、あとは電話で話すのでもなんとかなるのだが、わが家の娘はわたしになるべく学校に来てほしがるタイプなのと(保護者会の日は児童は早く下校して留守番になるにもかかわらず)、なにより以前も書いたように、わたしは娘の担任の先生のことがとても好きなのである。だから出向くことにした。

叱ってばかりの先生


近ごろ娘から、担任の先生が毎日男子を叱ってばかりいる、という話をよく聞いている。
誰をどんな理由で叱ったのかを聞いてみれば、「そりゃ叱られても仕方ないでしょう」という内容なのだが、直接は叱られていない娘にしても、「でもそんなに叱らなくても、ってくらい叱ってるよ。それで放課後に全員でお説教されたり。だからみんな先生の文句を言ってる」なんて言うのだ。
そのたびにわたしは「悪ガキだらけの6年生の担任なんて、ただでさえ忙しくてしんどいのに、今年はコロナのせいで、学校の先生の仕事はめちゃくちゃ増えて大変なはずだよ。それにママと同年代で、同じ年頃の子どもが2人いれば、体力的にも相当ハードなはず。ママはぜったいにあの先生をきらいになんてならない。叱る理由を聞いたって、何もおかしいと思わないもの」と返していた。

しかし先日、たまたまクラスメートの男子のお母さんと会い、少し立ち話をしたら、「うちの息子、先生から毎日ものすごい叱られてて。家にも何度も電話がきてるし、まぁ怒られるようなことはしてるんだけど、息子は『いくらなんでもきびしすぎるよな』って友だち同士で愚痴りあいながら下校してくるみたい。女子はそんなことない?」と聞かれた。
娘の「今日叱られた男子の話」ではよく名前が挙がっている子だったので驚かなかったし、「うーん、女子にはそうでもないみたいだけど、この学年はけっこうやんちゃな男子が多いし、先生も大変なんじゃない」と受け流しておいた。

そんな背景もあっての、保護者会だった。
先生は相変わらず話が上手で、生徒たちを心から可愛がっている、その愛情が話の端端から感じられて、あらためて「最後の学年にこの先生が担任で本当によかった」と思いながら聞いていた。
授業の進度のこと、今後必要になる道具のこと、行事のこと、冬休みの宿題の話など、伝達事項をあらかた話し終えたころ、ほんの付け足し、みたいな雰囲気で、先生が「あ、それと」と話し始めた。

大人の準備に進めるように


「最近わたし、主に男子をですが、けっこう厳しく叱っています。おうちにお電話もさせていただいて、細かい報告をさせてもらっています。
実は、わたしには現在中1になる息子がいるんですけど、その子が持ち帰ってきた学級便りに、担任の先生がこう書いていらしたんです。
『みなさんはもう中学生です。中学生になったら、提出物が遅れても、言われたことが守れなくても、小学校のときみたいに先生はいちいち叱りません。すべては自分の責任です』。
それを読んでわたし、これは大変だ、って思ったんですね。たしかに中学生って、もう大人の準備に入る場所なんです。そこでは生活のことも言動のことも、いちいち細かく指導してもらえません。だったら小学校のうちに、やっていいことと悪いこと、言っていいこととダメななことの線引きをしっかり伝えておかなくちゃ、って。男子たちに陰で『うるせえなクソババア』って言われているであろうことも、わかっています(苦笑)。でもなんとか、中学校でちゃんと大人の準備に入れる、その段階に進める子になって卒業してほしい。そう思いながら、毎日叱っています」

わたしは驚いて、また感動した。
こうして書いていても、ほとんど泣きそうである。
それで家に帰り、塾に送っていく車のなかで、娘にそのことを静かに伝えた。娘は「えー、そうなの? じゃあ先生、わざと叱ってるの?」と心底びっくりした表情だった。
「そうだよ。あのね、叱るって、ものすごい疲れるし、めちゃくちゃ面倒くさいんだよ。相手を思う気持ちがないと、やってられないことなんだよ。自分の子どもを叱るなら、それが親のつとめだって思えるけれど、先生にとってあなたたち生徒は自分の子どもでもないし、人数だって多い。そんな相手に本気で、時間もかけて叱ってくれるなんて、そんな愛情深い人なかなかいないよ」と伝えた。娘はちょっと考え込むような顔で、何も言わなかった。最近の先生の様子を思い浮かべながら、自分の感情を整理していたのかもしれない。

つくづく、「叱る愛情」とは、多大なエネルギーを使うわりに、なんと伝わりにくいものだろうか、と思う。

今回の件だって、わたしが保護者会に参加せず、子どもの話を聞いていただけでは、先生の真意を知ることはできなかった。娘の前では擁護派にまわりつつも、「きっとイライラするし、体もキツイんだろうなぁ。同年代としてよくわかるわぁ」などと、更年期の角度から心配していたくらいだ。失礼きわまりないとはこのことである。

幸いにも、先日立ち話をした男子のお母さんは保護者会に参加していたから、きっと疑問が晴れたことだろう。
でも全体で参加者は半分もいなかったし、先生に叱られて逆恨みしている男子や、他にも反抗心をもっている子たちは、こうした叱る愛情に気づくこともなく卒業していくのだろうか。そして将来、「そういえば6年のときの女の担任がやたらヒステリックでさぁ」なんて話したりするんだろうか。もう悔しくて悔しくて、歯ぎしりしてしまう。そうした現場をわたしが押さえた日には、他の家の子であっても真相を伝えて誤解を解きたいけれど、全員というわけにもいかないだろうな。

でも、そんなことで悔しがるような狭量な人間ではないからこそ、わたしはあの先生が好きで、尊敬しているのだ。もう一度きっぱり、これは伝わってほしいという思いをこめて、娘に言った。
「ママはあの先生を本当に立派だと思う。人の言動の奥にある、そうした気持ちを読み取ることもしないで、簡単に文句なんて言うんじゃないよ」

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